2016.10.9 宣教「神の愛が満ちる教会」
聖書 コリントの信徒への手紙第一 13章4-7節
<中心聖句>
13:4
「愛は忍耐強い。
愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。」
パウロはコリントの教会に、滅ぼされていく要素が多分にあることを案じています。しかしこれはコリントの教会だけのことではないのです。現代の教会、信徒の中にも、受洗して信仰の世界を味わったのに、いつの間にか教会から離れていく人があります。それはなぜしょう?
パウロはコリントの教会の教会員の具体的な罪を指摘しています。神を試みる、つぶやく、誘惑のとりことなる危険があります。そのような中で、パウロは教会に召されたキリスト者に対して、生き方を示しています。この聖書の言葉は、今日の教会に神の言葉として耳を傾けて聞くべきことを伝えています。
教会が一つとなってキリストの委託に応えるために必要なことjは「愛」です。「愛をもって互いに忍ぶ」ということです。この13勝には愛の賛歌と言われる聖書のことば、徹底的な愛について書かれています。7節「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。4節から6節まで、愛についてかかれていることの、その締めくくりが7節です。「すべてを忍び」と終わりの「すべてに耐える」ということは、同じ言葉です。私共が使う「忍耐」が書かれています。一度忍んだからもういいということではなくて、幾度も私共は耐え忍んでいかなければなりません。
この「忍ぶ」という言葉には、覆い隠すという意味があります。秘密を守るという意味があります。愛というのは、人間の失敗をカバーしていく。他人の失敗を覆っていく。大切なことは、その人の負う重荷を傍観するのではなくて、その人の重荷を負い合うことです。それが愛です。
この愛は、人間の生まれながらの内にはありません。人間の内にあるのは本能的な愛です。その愛は自己主義的な愛でしかありません。そういう人間が、私どものために十字架にかかって命を捨てたイエス・キリストを信じていくとき、神の愛にふれていきます。人間の愛はしばしば崩れ、人間の愛はしばしば挫折していく中で、私どもを愛してくださる神の愛に生かされていくとき、他者の重荷を喜んで負うことができると思うのです。神の愛を受けて、すべての人々の前にキリスト者として立つことのできるように生きていきたいと思うのです。