2016.3.20 宣教「新しい墓」

2016年03月20日 17:27

聖書  ヨハネによる福音書19章38-42節

<中心聖句>
19章41節
「イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。」
 
 この19章38節以下は、主イエスの埋葬の出来事を語っています。
 
   アリマタヤ出身のヨセフという人が、豊かな財産家であったことは、並行記事の福音書が記していることですが、特にマタイ27:60を読みますと、「岩に掘った自分の新しい墓」とありますように、主イエスが葬られたお墓は、ヨセフの自分の墓であったと記されています。 
 38節に「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」とあります。高い地位にあっただけに隠していたのでしょうか。その点で、他の弟子たちほど勇気がなかったということでしょうか。ヨハネ20:19節には、つまり主イエスがよみがえりになった後の事ですが、ペテロや弟子と呼ばれていた者たちまでが、ユダヤ人たちを恐れて戸を閉ざして鍵をかけて外に出ようとしなかった、と書いています。なぜでしょうか。それは、殺意を持っていたユダヤ人を恐れたのです。彼らは死を恐れたのです。自分んも巻き添えを食うことになることを恐れたのです。
 しかし、その恐れを、ここでは突き破って、わたしもあの方の弟子です、とピラトの前に名乗り出ました。イエスの弟子であることをそこで貫こうとしました。考えようによっては、他の弟子たちよりも、よほど勇気があったと言えます。
 
 また、ここではヨセフと共に、その友人であったと思われるニコデモが登場します。39節に「かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモ」とあります。夜に、これもユダヤ人たちを恐れて、ひそかに主イエスを訪ねたニコデモです。そこで、主イエスから人は新たに生まれなければ、霊によって生まれなければ、いのちに生きることは出来ないと告げられたのでした。
 しかし、ニコデモは、あの夜の主イエスの言葉を、その時のまなざしを忘れることは出来なかったと思います。39節に「没薬と沈香を混ぜた物を100リトラばかり持って来た」ありますが、大量(1リトラは約326グラムですから33キロ程)の香料です。当時の身分の高い者、王であるとか財産豊かな者の葬儀には、しばしば行われていたのでしょう。おそらくすでに年老いていたニコデモが、一人で運ぶことは出来なかったと思われます。使用人たちが手伝い、主イエスのお体を亜麻布で、手も足も体も何枚にも幾重にもくるんでいったのだと思います。
 
 ヨセフもニコデモも、勇敢にキリストの後についていく、何もかも振り捨ててついていくことはしなかったかもしれません。
 ヨセフもニコデモも、もう若くはなかったでしょう。財産のあるうちに、自分のために用意したお墓を用意していたことでしょう。また、自分が葬られる時、自分の体に塗られるの香料をた用意しておいたことは考えられることです。しかし、ここで惜しげもなく主イエスに用い尽くしています。
 改革者カルバンは、なぜ、ヨセフがこんなに勇気ある行動にでたのかと問い返しても、わからないと言っています。ただ、言えることは、神の霊が働いた、神の霊がこの男を導いておられるからではないかと理解しています、と。
 
 ヨハネによる福音書12章32節に主イエスが「私は地上から上げられる時、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」と語られました。主イエスに引き寄せられるそのすべての人に、ヨセフとニコデモもいるのです。
 
                   
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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