2016.4.17 宣教「神の愛が満ちる教会」

2016年04月18日 16:43

聖書 ヨハネの手紙第一 4章10節

<中心聖句>
ヨハネの手紙第一4章10節
「わたしたちが神を愛したのでなく、神がわたしたちを愛して、
   わたしたちの罪の償いのいけにえとして、御子をお遣わしになりました。
 ここに、愛があります。」
 
 2016年度の水元教会の標語として、その中心聖句となる御言葉を教会員の皆さんから募集しました。
その中から3月の定例役員会で役員の方々によって決定した聖句が、このヨハネの手紙第一4章10節です。
新しいスタートに大変ふさわしい御言葉であると思います。
この聖句より2016年度の教会標語を「神の愛が満ちる教会」といたしました。
 
 この10節の最後の言葉の「ここに愛があります。」は、何といってもわたしたちに圧倒的な感銘を与えます。
 
 この手紙を書いたヨハネは、晩年、自らの体力が衰え、壇上に上がることが困難になり、抱きかかえられるようにして壇に上がってもなお、「汝ら互いに相愛せよ」との言葉を繰り返して講壇を下りたといわれています。
4章7節の「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」とは彼の終生の課題だったと言えましょう。では、なぜ、「互いに愛し合う」のか。
それは、7節を読んでいきますと「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」
8節には「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」とあります。
 
 この手紙が書かれたのは紀元後1世紀半もしくは2世紀の初頭と考えられています。当時は、グノーシス主義という思想が起こっていました。この世界は霊的なものと肉的なものとの二つによって成り立ち、霊は善、肉は悪と断定した考え方です。そこから、肉的なものを軽視し、人間はしょせんいつか死んでいくもの、死後は何一つ残らないという思想になっていきました。ギリシャ語で「ポルネイア」という言葉は不品行という意味ですが、それが「ポルノ」という言葉になっていきました。
 
 トルストイの書いた「愛あるところに神あり」という作品があります。一般的には共感をよびますが、ともすると「神」と「愛」を同一視すると、「愛」を神にする危険があると思います。ともすると、人間的な愛の中に神がおられると思ってしまうことがあります。すべての愛が神ではないからです。「神は愛」ですが、「愛は神」ではないのです。
 
 9節には「ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」とありますが、10節の「ここに愛があります」とは「この中に愛があります」と言い換えることもできると思います。「ここに愛が溢れている」のです。
 
 10節をもう一度読んでみましょう。
 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
 
 わたしたちは神から生まれた神の子です。わたしたちがどんなに神に愛されているか。それはわたしたちが神の子と呼ばれている、その事実の通りです。わたしたちがその神の愛に生きる。愛を語るということは、主イエス・キリストを語ることです。神は愛だということは、この神がイエス・キリストをわたちたちのところに遣わしてくださることによって愛を実証し、愛を確かなものにしてくださったということです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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