2016.5.1 宣教「一粒ほどの信仰」多くあり
2016年05月01日 21:42
聖書 ルカによる福音書 17章5-6節
<中心聖句>
17章6節
「主は言われた。
『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
この桑の木に、抜け出して海に根をおろせ』
と言っても、言うことを聞くであろう。」
弟子たちは「わたしどもの信仰を増してください」とキリストに懇願しています。
しかし、この弟子たちの願いに対して、キリストは信仰を増す方法を示さず、またこれを増す約束もされませんでした。
そして、自分たちは信仰をもって歩んでいるとうぬぼれ、その自らの信仰がまだ深いところまで至っていないと考えている弟子たちに向かって、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、「抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」と問題の根底をゆるがす言葉を語られたのです。
弟子たちは、自分たちは信仰を持っているという前提で、「信仰を増してください」とイエスに願ったけれども、もともと存在しないものを増すことは不可能なことです。それがたとえ、からし種一粒ほどのささやかな信仰であったとしても、そこに、本当に信仰が存在するならば、この「桑の木に「抜け出して海に根を下ろせ」という、およそ不可能とも見える事柄も可能となり世界を持つことが出来るのです。あなたたちは信仰を持っていると自負しながら、そこにはひとかけらの信仰もないではないか。と、キリストはそういわれたのです。
「からし種」というのは、くろがらしの種で目にも見えにくいほどの小さな種だそうです。しかし実がなると、それは3~5メートルにもなるそうです。
キリストの福音が、はじめて語られたパレスチナ地帯は、エルサレムから出ると無限に続く砂漠地帯です。草木も井戸の水も限られた場所しかない土地であります。しかし、このような土地に、福音の種がまかれることによって、今、全世界にところに伝道されるようになりました。そこには、迫害もあり、試練の日も多くありました。
ローマのネロ皇帝の支配下ではキリスト者は迫害のために財産はおろか、その命さえ奪われたような時代もありました。しかし、吹けば飛ぶような小さな存在である「からし種」一粒ほどの信仰であっても、それが蒔かれて生きて育つとき、3メートル、5メートルと成長して、空の鳥がそこで休憩をとることが出来るように、キリストの福音は世界の隅々まで広がっていったのです。
そして、キリストの体としての教会を通し、根を下ろし、実を結んだのです。
わたしたちは、自らの信仰の小さいこと、浅いことを嘆いてはなりません。たとえ、からし種のような見る影もない一つの塵にひとしい信仰であっても、もしそこに、キリストの生命を受けて立つならば、それは必ず、いつの日か、栄光をあらわすことが出来るのです。