2016.5.22 宣教「親と子の戒め」
2016年05月23日 10:02
聖書 エフェソの信徒への手紙6章1-4節
<中心聖句>
6章4節
「父親たち、子供を怒らせてはなりません。
主がしつけ諭されるように、育てなさい。」
今朝、読んでいただきましたエフェソの信徒への手紙6章1節~2節には「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です。」とあります。
これは、旧約聖書の十戒の第5の戒めを引用しています。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう。」というのです。
キリスト教の信仰を持つということは、実は真実な家庭を作っていく、その基盤になるということです。
しかし、若い人が教会に来るようになって求道生活をしているうちにキリストを信じたいと思うようになり、その決意を親に話しますと、日本の社会では親が反対する場合がしばしばあります。キリスト教のことをいまだに外国の宗教だ、キリスト教を信じると人間が偏る、結婚するときに差支えが起こる、などという人がいます。
真理とのつながりを持って人間が人間として生きていくというのであれば、キリスト教を信じて生きていくことに反対するのはおかしいと思うのですが、しばしばそのような問題が起こるわけです。キリストはマタイによる福音書の10章の中で「わたしよりも父や母を愛する者はわたしにふさわしくない」と言っておられます。この聖書の言葉だけを取り出して、これは日本の道徳を破壊していく、悪い宗教だという人がいます。
しかし、親に盲目的に従っていくということが、真実な親孝行であるかは問題です。
ですから、1節の「両親に従いなさい」のまえに「主に結ばれて」という言葉が非常に重みをもってくるのです。
4節「父親たち、子供を怒らせてはなりません。」と、ここでは両親というのではなく、父親たちと書いてあるのはなぜでしょうか。どうやら、母親というのは非常に忍耐を持って子供に接しますが、父親はしばしば怒りをぶつけやすいようです。
コロサイの信徒への手紙3章21節にも「父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。」
口語訳聖書では「いじける」という箇所を「心がくじけるかもしれないから」となっています。
父親というのは厳しくなければならないと良く言われますが、人間の成功であるとか、学歴だけしか考えない父親が、焦燥感をもつ。そうして結局、子供の心をくじけさせることがあるのではないでしょうか。
4節の「主がしつけ諭されるように、育てなさい。」とは何でしょうか。
わたしたちは、子どもに対する自分の姿勢の中で、イエスの弟子であることを問われています。
今日、親と子の関係が難しくなって、様々な問題となって起こっています。その中で、どうしたらよいか解らないと思うことが起こります。しかし、この時、わたしたちに大切なことは神への祈りです。わたしたちは神様の導きなしには何もできません。父も祈る。母も祈るのです。
もう一度、1節の「主に結ばれている」という言葉を考えてみますと、家庭の中にあって中心となるのは神だということです。
この家庭を支えていく神が、家庭の秩序として父と母を家庭に与えたということ。
家庭を支え、導き、生かしていく権威を両親に与えたということ。
その意味において大切なことは、両親は、神から与えられた神の権威をもって家庭に臨むということであると思うのです。