2016.5.8 宣教「神は愛です」

2016年05月09日 10:32

母の日 合同礼拝

聖書 マタイによる福音書 25章31-40節

<中心聖句>
25章40節
「はっきり言っておく。
  わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
              わたしにしてくれたことなのである。」
 
 五月の第二日曜日は「母の日」です。
 これは、アメリカのある教会学校の教師をされていたお母さんが亡くなり、その教え子たちがカーネーションの花を持ち寄って記念集会を持ったことから始まりました。
そこに集まった人々は天に召された母を思い起こすと同時に、自分たちの母のことを考え合いました。
やがて、この日は世界中で、私たちが母のことを想って、母への感謝の思いをあらたにする日となりました。
 
 さて、今朝は皆さんもよく知っている「靴屋のマルティンさん」のお話しをしたいと思います。
 マルティンさんは奥さんと3歳になる息子と暮らしていました。しかし、奥さんが亡くなり、マルティンさんは一人で息子を育て上げました。
しかし、その息子さんが、ようやくマルティンさんの仕事を手伝えるようになった頃、病気になり亡くなってしまったのです。
マルティンさんは、どうして神様はそんなひどいことをされるのかと神様をうらむようになりました。
やがて、教会にも行かず、仕事が終わると酒場に行って仲間とお酒を飲んで「何の望みもない。ただもう死にたい。」と思うようになりました。
 
 そこに田舎から知り合いのおじいさんがマルティンさんを訪ねてやってきました。マルティンさんはおじいさんに今までの色々なことを話ました。そして・・・・
 
 「もう、何の望みもない人間だ。」というマルティンさんに、おじいさんは
 「そんなにやけになるのは、お前が自分の楽しみのために生きようと思うからだよ。」と言います。
 「じゃあ、何のために生きたらいいのかね?」と尋ねると
 「お前に命をくださった神様のために生きなくっちゃならないんのだよ。」と言います。
 「じゃあ、どうすれば、神様のために生きられるんだね?」と尋ねると
 「どうすれば神様のために生きられるかは、キリスト様が教えてくださっているよ。聖書を買って読むといい。」と言います。
 
 聖書を読み始めたマルティンさんは、とても心が和んで、もう酒場に行くこともなくなってきました。
そして、毎日、仕事を終えると、ランプをテーブルの上に置いて聖書を読むようになりました。
 
ここからは、絵本でもよく読まれているお話が続きますが、聖書を読みながらうとうと寝てしまったマルティンさんに「マルティン、マルティン、明日、お前の所に行くよ」という声が聞こえます。
翌日、マルティンさんは、イエス様が来られるとじっと窓の外を見ていると、登場するのは、雪かきで疲れているおじいさん、赤ん坊を抱えた貧しい女のひと、リンゴ泥棒の少年とリンゴ売りのおばあさんたちです。マルティンさんは思わず、そう人たちを心から親切にします。
やがて、日も更けて一人部屋で聖書を読もうとしているマルティンさんに、耳元で囁く声が聞こえます。
 
 「マルティン、わたしに気がつかなかったのか?」と。
 
 わたしたちは誰もが、主イエス様がそばにいることに気づかないのです。
 イエス様は十字架にかけられて亡くなられました。しかし、復活されたイエス様は、わたしたちの近くにおられます。
 見知らぬ人だと思ったり、自分と関係ない人だと思ってしまう。イエス様のお弟子さんたちでさえ、なかなか復活のイエス様に気づかなかったと聖書に記されています。主イエスがわたしたちのそばにいてくださることも、いないことも、紙一重です。
 
 今も、本当にイエス様が共にいてくださるのかと疑問に思うかもしれません。
 しかし、問題は、わたしたちがその時それを見る目、それを聞く耳を持っていなければ、主イエスがそばにいてくださることに気がつかないということではないでしょうか。
 
 
 
 

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