2016.6.12  宣教「迷える小羊」

2016年06月13日 10:04

 聖書 マタイによる福音書18章10-14節

<中心聖句>
 18章10節
 「これらの小さな者を
     一人でも軽んじないように気をつけなさい。」
 
 イスラエルの民は羊や馬や牛などの家畜の群れと共に、水や牧草を求めて移動する人として暮らしていました。ですから、羊とか羊飼いは日常的な身近な存在でした。羊は柔和で素直で、従順な動物のように見えますが、実際にはなかなか言うことを聞かず、しばしば群れからはずれてしまうことがあるようです。ですから、羊飼いは絶えず目を光らせていなければならなかったようです。
 
 12節「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を100匹持っていて、その1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、迷い出た1匹を探しに行かないだろうか。」
 当時のユダヤ人にとって、羊は自分の命のように大切であり、彼らの生活を支える貴重なものでした。ですから、羊が1匹いなくなったということは大変なことだったのです。捜しに行くのは当たり前のことでしたが、同時に99匹の羊も大切でした。しかし、イエスはあえて、「99匹を山に残し、見失った一匹を見つけるまで探し回らないだろうか。」と言われたのです。ここには、計算を超えた愛が語られています。99匹と一匹はどちらが大切かいう人間の思いや計算はありません。イエスの人間に対する激しいまでの愛に圧倒する思いがします。
 
 ところで、わたしたちは無意識に自分は迷子になっていない99匹の側にいると思い込んでいませんか。
 自分は大丈夫だ、自分は正しい、だから迷い出ることはないと思ってせんか。
 しかし、わたしたちも迷い易いし、間違いを起こしやすいものであり、迷わなかった99匹の側にいるのではなく、迷い出る「ひとり」であるのです。
 そして、その「ひとり」のために、神は愛の目を注いでくださっているのです。99匹を山に残してでも、その1匹を探し求めてくださるのです。わたしたちは、かけがえのない一人であること、その大切な存在としてふさわしい歩みをしたいものです。
 

    

 

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