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2016.6.5 宣教「奉仕の業」
2016年06月06日 06:29
聖書 エフェソの信徒への手紙4章11-13節
<中心聖句>
14章11節
「ある人を使徒、
ある人を預言者、
ある人を福音宣教者、
ある人を牧者、教師とされたのです。」
教会のはじめを語るのに、いきなり使徒、預言者、福音宣教者、牧師、教師というような教会で働く人の役目が記されていることは、ある人にはわかりづらいかもしれません。
なぜなら、教会はペンテコステにおいて、聖霊を与えられたところから誕生した、と言われているからです。
それでは、聖霊によってはじまるとはどういうことでしょうか。
また、聖霊が働くということは具体的には、どのようにして働くのでしょうか。
聖霊の働きというものは、何もないところに働くことはありません。聖霊は、人間を通して働くものです。
人間が聖霊を受けて生きるところに、聖霊の働きがあるはずです。正しい秩序のないところには聖霊は働かない、と言えば少し乱暴ですが、それが、教会のはじめから導かれてきたことではないでしょうか。そこで、教会は、初めから制度を設けました。
ここに書かれているような教職の制度の他に、聖書がつくられました。また、信仰の基準になる信仰告白も生まれてきました。
この、教職、聖書、信仰告白の三つは、教会を制度化するために作られたものではなくて、教会に聖霊が働いてくださるように作られたものです。
これらのものは、確かに人間の工夫によって作られたものですが、人間が勝手に作ったものではなくて、それこそ、聖霊の導きによって作られたものなのです。
教会の制度とは、聖霊が働きやすいようにすることであり、聖霊が働くのは、神のみ言葉を生かすためであります。
11節に続いて、
12節「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき」とあります
キリストの体とは、いうまでもなく教会のことです。教会は信徒によって立てられていくわけですが、その立てられていくにふさわしい信徒を造っていくということが、牧師、教師の使命だと言えるのではないでしょうか。牧師、教師は神の御心をもって、教え導くために忠実であること。神の福音、神の言葉を正しく語ることによって、その信徒の生活を正しく整えていく、そういう使命があるのです。
13節「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」とあります。
礼拝ごとに語られる言葉を通して、わたしたちは、キリストの生涯において何をなさったかということを正しく知るという知識を、しっかりと自分のものにしていかなければなりません。そして、信仰と知識において教会は一致していくのです。
教会は、一人一人多様性があるのですが一人一人が成熟した信仰者となる時、「ついには」すなわち例外なく、教会は一致するのです。
わたしたちは弱い、躓きや失敗を繰り返していく人間ですが、そのような弱い者を包んで、弱い者を生かして、弱い者を高めてくださる主イエス・キリストの愛に満ちあふれた教会を、わたしたちは目指していきたいと思うのです。