2016.8.14 宣教「内在する罪」
聖書 ローマの信徒への手紙7章13-25節
<中心聖句>
7:18
「わたしは、自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでいないことを知っています。
善をなそうという意思はありますが、それを実行できないからです。」
人間は誰もが、心は豊かに、平安で生きていきたいと思います。少しのことでも慌てず、人を批判しないで、忍耐と寛容をもっていきたいと思います。いつも感謝と喜びに満ちている、そんな自分がいいのに決まっています。しかし、しばしば自分の心は豊かでないことを感じます。
すぐに不安と恐れに襲われ、少しのことでいらいらしたり、怒りやすくなったり、何か偏った考えを持ったり、何かに依存し、そこから離れられなくなってしまう。そうすると、人から誤解され、孤独になって、そのことで人に恨みをもったりします。いったい人間とは何なのでしょうか。
今日のテキストのローマ書7章15節で、パウロは「わたしは自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることするからです。」と告白しています。パウロは、このように人間の内面にひそむ問題と直面し、罪と律法の支配下にある人間の現実を直視して生き、苦悩した人でもあったのです。
私たちは、誰もが、自分自身のことが分からないで、今この時を生きているのです。
それでは、キリストは、私たちに自分はどのような人間であって、どのように生きればよいと言われているのでしょうか。
キリストは、「心の貧しい人は幸いです。」と言われました。あなたの心は貧しいのです。そして、あなたの心の貧しさゆえに、あなたは幸いである。と言われるのです。ですから、私たちは、まず自分の心の貧しさを知ることが大切なのです。
こんな心の貧しい自分が、どうして幸いなのでしょうか? どうして、キリストはこんな貧しさを感じる私を幸いだと言われるのでしょうか?
一般的には、これらすべてが解決されてから、自分は幸いである、と思うでしょう。
しかし、私たちが自分の貧しさを感じる時こそ、そこに神の力が働くのです。自分の力ではどうにもならない、その貧しさを神に訴えていく、ありのままの自分の姿をもって、神にすがることこそ、神がもっとも近くにおられる時なのです。私たちがどんなに貧しく、悲しい存在でも、神は豊かです。神の豊かさは、私たちが貧しい時こそ経験できるのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ15章10節でパウロは「今あるは神の恵み」と告白しています。私たちも、そのように告白して生きたいと思います。