2016.9.11 宣教「いちばん偉い人」
2016年09月12日 08:15
聖書 マタイによる福音書23章1-12節
<中心聖句>
23:12
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
今朝はマタイ23章1-12節までを考えてみます。22章42節に「あなたがたはメシアのことをどう思うか」と主イエスは問われました。その問いをめぐって問答に続いて、8節「あなたがたは先生と呼ばれてはならない」と言われました。わたしどもも律法学者、ファリサイ人と同じ罪を犯します。教える人間がどんなに過ちを犯しかということが問題となる。人は何かを教えたがる癖をもっている。教えたがる人間が、無意識のうちに上からの目線で、人を評価して、区別することを覚えてしまう。律法学者やファリサイ派の人はどうして間違いをしたのか?それは人々から評価され、尊敬されることを求めた。結局自分が満足することを求めたのです。そこには神が見えなくなっています。こういうことは私共皆、心に覚えがあります。誰も自分をほめてくれない。何か満ち足りない思いを経験します。フィリピの信徒への手紙2章1-6節に、キリストは神であった。神そのものであったが、僕の身分になり、人間と同じものになられました。ここで言われているもっとも高い者が、もっとも低い者となったということです。人間を救うためにキリストは下の下に降りて、人々を高い所まで引き上げてくださる。キリスト者にとってもっとも大切なことは謙遜です。神の前で従順であるということは、謙遜であるということが大事です。キリスト者の一つの生き方です。