2016.9.25 宣教「疲れた者への愛」
聖書 マタイによる福音書11章28-30
<中心聖句>
11:28
「疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう」
今日の聖書の言葉は、わたしたちが何度もくじけそうになった時に、立ち上がらせてくれたか分かりません。わたしも何度も失敗をしてきました。そんな時に、イエスの「わたしのもとに来なさい」というみ言葉に救われるのです。わたしたちはつまずかない人生を送ることが大切なこととは思いません。人間は失敗して、つまずくのは当たり前です。ただそのときくじけてしまわないことが大切です。人間はときにどん底を味わうことがありますが、どん底が心を強くすることもあります。主イエスご自身もどんなにか失意を味わわれたに違いありません。主イエスは、「あなたがたを休ませてあげよう」と言ってくださる。「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのともに来なさい。休ませてあげよう」この言葉を主イエスは語るために、主イエス・キリストご自身が柔和で謙虚なしもべとなられたのです。
わたしたちには誰にも重荷があります。それが経済的な重荷であるか、信仰的な重荷であるか、人によって異なりますが、大切なことは、キリスト自ら、わたしたちのくびきを負ってくださるのです。自分がくびきを担うと、もう一方にキリストもつながれていてくださる。くびきも重荷も、取り除かれるということではなくて、負いやすくしてくださる。そのためには、自分が柔和で謙虚にならないといけないのだということです。
私共に力の余る試練を与えない神であり、約束通り、耐える力と、逃れる道を、その時に応じて備えてくださいます。私共が生きるということの重荷をすべて主に委ね、神に委ねることが、私どもの重荷をキリストが背負ってくださるという、このキリストを信じていきたいと思います。