宣教

2022年08月28日 05:26

2022.8.28 宣教「からし種の信仰」

聖書 ルカによる福音書17章1-10節  1-10節の小見出しは「赦し、信仰、奉仕」となっています。1-2節では「小さい者の一人をつまずかせてはならない。」3-4節では「罪を犯した者に対しての赦し」5-6節では「からし種一粒ほどの信仰が発揮する大きな力がある」そして7-10節においては「自らを取るに足らない僕とへりくだりなさい」という教えです。いろいろと違った意味を持つ内容ですが、共通しているのは「小さいもの」を扱っています。さて、5節「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』」とキリストに願いました。キリストは信仰を増す方法を示さず約束もされません。そして自分たちは信仰を持っていると
2022年08月21日 05:36

2022.8.21 宣教「神の憐れみによって」

聖書 ルカによる福音書16章19-31節  23節に「そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかに見えた。」とあります。そこで金持ちは、このままでは自分の5人の兄弟も同じように陰府に堕ちてひどい目に遭うのは気の毒だから、何とかして助けてやりたいと思ったのです。金持ちはアブラハムに、ラザロを遣わして5人の兄弟に警告するようにしてくださいと頼みました。すると、アブラハムは29節「しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい』」と答えました。」金持ちはさらに30節「金持ちは言った。『いいえ
2022年08月14日 13:08

2022.8.14 宣教「十字架のキリスト」

聖書 マルコによる福音書15章33-41節  33節「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。」そして、イエスは大声で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。一度も罪を犯すことが無かったお方、いつも神を信頼していた神の子、いつも神の御心の通りに歩んで行かれたイエス・キリストが、全面的に神から見捨てられたと感じられた時間です。この12時から3時まで全地は暗くなったというのは、いったいどういうことなのでしょう。これは、キリストの十字架を無視するとき、この世界は闇に包まれるような生活になるということを予想できるのではないかと思うのです。キリスト者に
2022年08月07日 05:38

2022.8.7 宣教「神は心をご存じである」

聖書 ルカによる福音書16章14-18節  わたしたちは自分のことは自分が一番よく知っていると思っているようです。自分は特別だ、自分が最も大事だということは、すべての人間の特徴です。だから自分の正しさを主張して、人々に「尊ばれ」ようとします。イエスは、これをファリサイ派の人々に指摘しました。15節「そこで、イエスは言われた。『あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われる者だ。」」この世で人から尊ばれ人からの評価を求めても、神は人の「心」をすべてご存じです。「人に尊ばれるものは、神に忌み嫌われるものだ」ということです。これ
2022年08月01日 11:10

2022.7.31 宣教「完全な砦に守られて」

聖書 詩編46編1-12節 今朝は近隣4教会の講壇交換日礼拝。金町教会の川名基牧師が来てくださり宣教をしてくださいました。川名先生には、今までも隣の教会ということで色々なことでお世話になっていましたが、水元教会での礼拝ご用は今回が初めてとのことでした。実はコロナ感染予防のため予定していた講壇交換日礼拝も何度も延期になり、なかなか実現できずにいたのです。ですから、私たちにとって待ちに待った講壇交換日礼拝でした。川名先生のお話は簡単な自己紹介からはじまり、先生の年齢(50代半ば)をお聞きすると「ああ、お若い!」という皆さんの心の声が聞こえてくるようでした。(^^)/  詩編とは神様への祈りを捧げる
2022年07月24日 10:30

2022.7.24 宣教「富からの自由」

聖書 ルカによる福音書16章1-13節  神が人間が求められることは、神に対して誠実であることです。10節以下に「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きな事にも不忠実なものである。」この後の節にも「忠実と不忠実」という言葉が何度も出て来ます。「不忠実」という言葉は、原文では「不正」という言葉と同じです。今朝のテキストでは「不正な管理人」について語られ、「不正な富」について語られています。不正の反対は正しいということですが、正しいということは、道徳的に正義に生きるということよりも、神に対して忠実であることです。神に誠実に生きるということです。神がわた
2022年07月17日 05:27

2022.7.17 宣教「優秀な兄の罪」

聖書 ルカによる福音書15章25-32節 先週に続き「放蕩息子のたとえ」の後半です。29節「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところがあなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」これは兄の怒りですが、全く正しい言葉であると聞くことも出来ます。兄の不満はもっともです。これが私どもの家庭内で聞かれる息子の言葉であれば、多くの人は父親に反省すべきことがあると思います。兄は弟のことを「あなたのあ
2022年07月10日 14:51

2022.7.10 宣教「神への帰還」

聖書 ルカによる福音書15章11-24節  このテキストの中心人物である「放蕩息子」は私どもと関係のない人物ではありません。自分は放蕩などしたこともないと言う人もおられると思いますが、一人の人間が生きた姿の中に同じ人間である私たちとの深いかかわりを見ることが出来るのです。その第一は、人間の不安です。この息子は父親から財産の半分をもらった。物さえあれば、金さえあれば、自分の人生は大丈夫だと考えている人は多くいます。神とかキリストから離れて、自分が生きたいように、やりたいように出来る人生は何と素晴らしいことだと思う人は多いのです。そのような中で息子は、父親から離れ、一文無しになって、はじめて深刻な
2022年07月03日 17:07

2022.7.3 宣教「新しい人生を生きる」

聖書 ルカによる福音書15章1-10節  私たちが信仰により救われる経験をすると、誰もが新しい者とされるということを信じて歩み出すことは大切なことだと思います。しかし、やはり自分は何も変わらないし何も新しくなっていないという人がいます。が、実は新しくなっているのです。すでに、誰もがキリストの恵みの業として起こっているのです。どこがどのように変わっていくのでしょうか。それは生きる方向が変わってくるということです。新しくその方向に生きるということは、主イエス・キリストに似た者となる道を歩むということです。ルカ福音書の15章に、羊飼いが迷子の一匹の羊を見つけ出すために、また、一人の婦人が無くした一枚
2022年06月27日 09:42

2022.6.26 宣教「道具としてではなく、隣人として」

聖書 使徒言行録16章16~24節  本日の礼拝は、志村栄光教会(板橋区)と水元教会の講壇交換日と致しまして、朴貞蓮(パク ジョンヨン)牧師による宣教です。  宣教の題の道具は否定的な意味合いに、また隣人と対象的な意味合いにも取れますが、そうではなく、神の御心を示す時、恵みの御業の成就のために、ある特定の人や民族を道具とされることがあると言われます。  しかし、この16節以下にでてくる女奴隷の主人は、彼女をただ自分たちの金儲けのための道具として使っていたのです。17節で「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と女奴隷が幾日も繰り返す言葉は、一見、パウロやシラ

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