2022年04月10日 06:58
聖書 マタイによる福音書27章45-52節
主イエスは、人々から捨てられたままで無言でした。しかも、45-46節に「さて、昼の12時に全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクダニ』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」と記されています。主イエスは神を父よと呼びました。主イエスは、十字架にかかって「何故ですか?」と叫びました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と。一度も罪を犯すことがなかったお方が、いつも神を信頼していた神の子が、いつも神の御心の通りに歩んで行かれたイエス
2022年04月03日 05:40
聖書 ローマの信徒への手紙12章9-13節
2022年度の教会聖句をローマの信徒への手紙12章12節より「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」に決定しました。これは皆さんの投票で決定したのですが、この困難な時代を迎える私どもの教会としては大変ふさわしい聖句であると思います。この聖書が書かれた頃、教会がどのような組織を持ち、どのような働きをしていたのか、よく分かりません。パウロはローマの信徒へ向けて、1章から11章までは福音の教理について述べて、12章からはキリスト者の実践について書きました。キリスト者として生きる者の生活について、具体的なことを丁寧に語っています。この中に愛
2022年03月27日 13:01
聖書 マルコによる福音書10章35-45節
受難節ですので、今朝からキリストの受難にあった個所から聖書を学んでいきたいと思います。今朝はマルコによる福音書10章35節以下です。ゼベダイの子ヤコブとヨハネが主イエスに語りました。35節「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」それは何かと問われると、37節「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人は左に座らせてください」と願いました。主イエスは38節「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることが出来るか」と、あなたは何を願っているのか、よ
2022年03月20日 18:10
聖書 ルカによる福音書12章54-59節
56節「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」この「偽善者よ」とは誰のことかと言うと、律法学者、ファリサイ派の人々です。この人たちは自分は立派な信仰生活をしていると思っているし、人からもそう思われている。そういう人を主イエスは偽善者だと批判されました。わたしどもはどうでしょうか?私ども自身は少なくとも偽善者と言われるほど、ひどくないと思っています。しかし、本当は私どもは自分が偽善者であることを忘れています。人間は、もれなく偽善的な性質を持つことを主イエスは見抜いておられます。偽善と
2022年03月13日 15:41
聖書 ルカによる福音書12章49-53節
主イエスは49節「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」と言われた。この火とは、人を滅ぼす火ではなく、人を生かす火です。この火は聖霊です。また、50節「わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんな苦しむことだろう」と言われた。主イエスは私どもの生活に火を投げ込まれました。
これはイエスの十字架の苦難を意味します。主イエスは...
2022年03月06日 16:17
聖書 ルカによる福音書12章41-48節
42節で「主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。」また43節で「主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである」とあります。そのように主人の僕の務めを果たすために必要なことは「忠実で思慮深い」ことが求められています。そこで主イエスはペトロに「忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。」と言われました。主人の帰りが遅いと,僕である者の心に不安が生まれます。主イエスを待ち続ける私たちの心に、主イエスに対する信頼の心を不安にさせるものが
2022年02月27日 06:25
聖書 ルカによる福音書12章35-40節
35節に「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と記されています。主イエスからの、いつ、どんな命令にでも応じることが出来るように準備をする状態と考えてもよいと思います。そのように奮い立たせることですが、ここでは、むしろじっと待つこと、それも腰に帯を締め、ともし火をともして待つということです。主人がいつ帰ってくるか分からないからです。場合によっては、僕は一晩中明かりを絶やさず、目を覚ましていなければならないかもしれません。37節に「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを
2022年02月20日 15:52
聖書 ルカによる福音書12章22-34節
32節で「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」ルカはどのような思いでこの言葉を語り伝えたのでしょうか。当時の教会は、教会堂も無い小さな集まりで、その小さな群れに神の言葉を運ぶ人がいました。この福音を刻み込まれて行った人が、次から次へと受け継いで主イエスの言葉を運びました。主イエスが繰り返し言われた言葉の一つは「恐れるな」ということでした。誰の心にも恐れがあります。主イエスは、嵐の中にいる弟子たち、海に溺れそうになっている弟子たちに「恐れるな」と何度も声をかけてくださいました。25節「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだか
2022年02月13日 14:02
聖書 ルカによる福音書12章13-21節
13節に「群衆の一人が言った。『先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。』」当時のユダヤの定めには長男には大きな権限があり、父親が死ぬと長男に財産が入ったというのです。ここに出て来る男は、次男か三男と思われます。遺産相続の問題を訴えた言葉ですが、主イエスは直接に答えられません。ただ15節で「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」また「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも出来ないからである。」と言われました。そして「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」と。何でも主イエスに話せば、
2022年02月06日 11:48
聖書 ルカによる福音書12章1-12節
主イエスは旅をなさいました。決して安住して伝道をされたのではありません。伝道の旅というのは、ある意味では重荷でストレスも抱えていくことになります。私たちは自分が生きている間に、いつかどこかで自分が背負っている重荷が解放される時が来るだろうと思っています。しかし、人間というのは、一生心配事から解放されることはないことを悟ります。主イエスは弟子たちに4節、5節に「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何も出来ない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ、言