宣教

2022年01月30日 12:37

2022.1.30 宣教「神の知恵」

聖書 ルカによる福音書11章42節ー54節  先週のテキストの後半から、もう一度考えてみたいと思います。42節から「不幸だ」という言葉がたくさん出てきます。46節「イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ』」つまり42節の「正義の実行と神への愛をおろそかにしている」ことになります。私たちが、主イエスの言葉に従って生きるということは、自分のそばにいる者や自分と共に生きている者に対して、どういう行動して共に生きているのかが問われるのです。しかも人に負いきれない重荷を負わせておきながら自分で
2022年01月23日 12:12

2022.1.23 宣教「あなたの内側を清めよ」

聖書 ルカによる福音書11章37-44節  37節に、イエスはあるファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれたとあります。ところが42と44節でその招いてくれた主人に向かって「あなたたちは不幸だ」と言われたのです。なぜでしょうか?それは、38節にファリサイ派の人が、「イエスが身を清められなかったのを見て、不審に思った」ことから始まりました。ここにファリサイ派の人たちの「信仰」の基準がありました。彼らの基準は目に見える基準です。つまり外面の儀式や単なる律法や教えが形式になっていました。形だけの宗教となるとき、葬式や結婚式または何かお祝いのときだけの宗教となり内容の
2022年01月16日 16:08

2022.1.16 宣教「キリストを見つめて」

聖書 ルカによる福音書11章29-36節  29節に「群衆の数がますます増えて来た」と書き始めています。群衆は主イエスの話を聞きたいから集まって来たのです。これに対する主イエスの最初の言葉は厳しいものでした。「今の時代の者たちはよこしまだ」と言われたのです。つまり「あなたがたの時代」、それは悪い時代であると言われました。なぜ主イエスはこのようなことを言われたのか。33節と34節に、主イエスは「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗
2022年01月09日 05:43

2022.1.9  宣教「キリストの救い」

聖書 ルカによる福音書11章14-28節 今朝の主題は「主イエスの救いとは何か」と言うことです。主イエスの救いを、理論と言うよりも、今ここにある私たちの現実のこととして考えていきたいと思います。そのきっかけとなる出来事が14節「口を利けなくする悪霊」に取りつかれた人がいたのです。主イエスは、その人の悪霊を追い出してくださり不自由から解放してくださったのです。そして19節に「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」と言われました。「あなたたちの仲間」と呼ばれる人々も、そのようなことができたのです。しかし同時に、主イエスご自身がここでしておられることは
2022年01月02日 16:21

2022.1.2 宣教「祈りの力」

聖書 ルカによる福音書11章1-13節  2022年を迎えまして心からお喜び申し上げます。また新しい年を迎えた時点で、希望をもって進んで行きたいと思います。       今朝のテキストは、まず弟子の一人が「主よ、祈ることを教えてください」と願いました。そこで主イエスの祈りについて教えが語られました。主イエスは祈りとはどういうことかを教えてくださったのです。教会でも、祈りとは感謝すること、神の御名をほめたたえる賛美であると学びます。主イエスは、信仰の成長の過程において祈りとは願うことである。すなわち8節の言葉で「しつように頼む」ことであると書いてあります。祈らない信仰はありえないということを言っ
2021年12月24日 06:35

2021.12.26 宣教「必要なことは一つ」

聖書 ルカによる福音書10章38-42節  マルタは、自分の村に主イエスの一行が来たとき、喜んで自分の家に迎え入れました。そこで何が起こったかというと、39節にこの物語の中心場面があります。「彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」そこから話が続きました。「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。』主イエスはお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱し
2021年12月19日 06:12

2021.12.19 宣教「絶望から希望へ」

聖書 マタイによる福音書1章18-25節  2021年のクリスマスをご一緒にお祝いして、ここに礼拝を捧げるこの出来ますことを心よりお喜びいたします。 ヨセフとマリアは神の祝福を受けながらも、はじめは主の天使の御言葉を素直に受け入れられませんでした。ヨセフは18節「二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」という、与えられた神の言葉に答えられなかったのです。19節「ひそかに縁を切ろうと決心した」とあり、ヨセフは与えられた栄光にありながら、神の祝福に十分に答えることが出来ないものとなっていました。20節「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」この言葉に、ヨセフはこ
2021年12月12日 19:24

2021.12.12 宣教「時は満ちる」

聖書 ガラテヤの信徒への手紙4章4-7節  パウロは目が不自由であったのではないかと言われています。もしそうであったら、彼は大変苦労して、大きな文字でこの手紙を書いたことになります。なぜそれほどまで無理して、パウロはガラテヤ人への手紙を書いたのか、それは福音を伝えることにありました。ユダヤ教的クリスチャンたちの中には、救いにはユダヤ教の風習も必要であるという考えを持っていました。パウロは、この異端的傾向に落ち込もうとしているガラテヤ人に厳しい言葉を書いたのです。「あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったと、あなたがた
2021年12月05日 16:35

2021.12.5 宣教「時は近づいた」

聖書 ローマの信徒への手紙13章11-14節  待降節第二主日です。今朝読んでいただいたところは、キリスト者がどのように生きるか、それを的確に言い表している箇所です。13節の「日中を歩むように品位をもって歩ものではありませんか」の言葉には、この世と同じ形、同じ姿ではなく、「品位の姿」が語られています。パウロは、この品の良さは日中、昼間の歩き方だと言っています。11節後半に「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて、光の武具を身に着けましょう」とあります。聖書で「夜」とは、さまざまな道徳的な悪が世界を支配しているところでもあります。「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみ」が人間と人間
2021年11月28日 05:10

2021.11.28 宣教「天を裂く主」

聖書 イザヤ書63章19節、64章1-6節  今日から待降節に入って行きます。旧約聖書のイザヤ書63章19節「どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように」と、これは厳しい神への叫びです。世が乱れ、民の心が神から離れ、罪と悪が世界を覆っていく、そういう時代に生きる時、誰でも心の中にこのような叫びを持つのではないでしょうか。どんなに科学が発達しても、人間の能力が偉大だと自慢していても、人間はどうしようもない困難に遭遇すると神の業を期待します。それは、19節と続いて64章1節にあるように、「天を裂いて、山々が揺れ動くように。山々の柴が燃え、水は熱湯となってふっとうする。」と。神が聖

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