2021年05月10日 21:15
聖書 ルカによる福音書5章27-32節
キリストは12弟子を選ばれるとき、反社会的な仕事をしている徴税人を選ばれました。このレビという名の男に27節「わたしに従いなさい」と言って弟子にされたのです。この弟子となったレビは、自分の新しい先生となったイエスのために宴会を催し、仲間の徴税人たちや、その他の仲間の人もすべて招きました。主イエスは、徴税人のレビが人生の転換を願っていることを見抜いておられたのです。だから彼は、28節「彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」のでした。そして主イエスは31節「健康な人に医者はいらない。いるのは病人である」そして32節「わたしが来たのは、正しい人を招く
2021年05月04日 17:02
聖書 ルカによる福音書5章12-26節
12節「イエスがある町におられたとき」の、この「ある町」というのは、前章43節に「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない」とあるように「ほかの町」の一つではないかと思われます。そこで二人の病人の物語が今朝の記事に書かれています。全身重い皮膚病の人と、中風の人の癒しの物語です。二人とも社会からはみ出され、もう用のない人間とされていた人です。この5章では一貫して罪を主題としています。重い皮膚病の男には、罪という言葉は出て来ませんが、「清くなれ」と言われました。この人は、あなたは清められた、あなたは罪を赦されたということを祭司によって確認される
2021年05月02日 17:14
聖書 詩編46編2-8節
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」この聖句は2021年度の水元教会の中心聖句です。この御言葉は、コロナ禍の受難の時代を迎える教会としては大変ふさわしい聖句であると思います。それを皆さんの投票によって決定しましたことは非常に感謝なことです。46編2-3節には非常に切実な詩が書かれています。イスラエルの民を選ばれた神が万物の創造者であるという信仰の表明をして、そのような神に信頼する者に動揺はないという信仰の告白です。今まさにアッシリア帝国が攻めて来て、エルサレムの町が火の海になる。自分も家族も、いつ死ぬか分からな
2021年04月13日 10:43
聖書 ルカによる福音書5章1ー11節
イエスは町々を巡回し、諸会堂で福音を告げ知らせておられました。1節「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」そして3節には「そのうちの一そうであるシモンの持ち船に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。」この時ペテロは、すぐそばで主イエスの説教を聞いていました。ペトロは漁師でした。一晩中働いても何の収穫も得ることが出来ず疲れ切っていました。主イエスは、説教が終わった後、4~5節「話し終わった時、シモンに『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』
2021年04月07日 06:28
聖書 ルカによる福音書4章38-44節
主イエスは会堂で説教された後、シモンの家に行かれました。シモンというのはシモン・ペトロです。ここではまだイエスの弟子になっていません。漁師をしていたペトロの家に主イエスは食事に来られたのです。ペトロは結婚しており、その妻の母が高い熱で苦しんでいたのでした。39節「イエスが枕元に立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした」と記されていますが、これはほんのわずかの間に起こった出来事です。すると、40節「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た」のでした。カファルナウムの
2021年03月30日 05:40
聖書 マルコによる福音書16章1-8節
イースターおめでとうございます。キリストの復活の朝、弟子たちの行動は不可解です。弟子たちは、主イエスが苦しみを受け殺されるが三日目には復活すると、主イエスから聞いていました。安息日が済んで、お墓に行ったのは女性たちです。ユダを除いた男の弟子11人は全く放心状態でした。女性たちは香料を整えて主イエスの遺体に塗るためにお墓に行っています。すると墓の中には主イエスの体はなく、真っ白な長い衣を着た若者が主イエスの復活を告げたのです。7節「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお
2021年03月25日 05:21
聖書 マルコによる福音書15章33-41節
33節「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。[エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』これは、[わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですかという意味である』とあります。12時から3時までの間、主イエスは、十字架の上で苦しまれ、三時になった時に「わが神、わが神」と叫ばれたということになります。三時間の沈黙があって、主イエスがこの言葉を言われたということは大事なことです。主イエスの苦悩とは何か。それはここに語られたみ言葉が、祈りであることからも、イエスはこの三時間苦しみの中で祈りつづけておられたこ
2021年03月15日 18:28
聖書 ルカによる福音書22章14-23節
14節に「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった」後に、主イエスが言われたことは、15節「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越しの食事をしたいと、わたしは切に願っていた」ということでした。なぜ、主イエスはご自分がこれから苦しみにあわれる前に、弟子たちと一緒に食事をしたいとお考えになったのでしょうか?それは、主イエスがこの世に来たのは何のためであるか、主イエスが苦しみにあうのはどういう意味を持っているかということを明らかにされたということです。それが最後の晩餐です。この晩餐にはイスカリオテのユダも一緒でした。この晩
2021年03月10日 05:42
聖書 マルコによる福音書14章1-11節
主イエスはある重い皮膚病の人に招待され、その家で食卓に着かれたところ、突然一人の女性が主イエスの後ろから近づき足元にひれ伏しました。その女性は涙で、主イエスの足をぬらし、自分の髪の毛で、それをぬぐったかと思うと、高価な香油を主イエスの頭に注ぎかけたのでした。周りにいた人たちは、一瞬何が起こったかと驚きました。そして、みんなでこの女性を批判し始めました。そこにいた何人かは、4節「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。」と。もったいない、貧しい人に施すならば、どんなに喜ぶか分からないと彼女を批判しました。主イエスは7~9節「貧しい人々はいつ
2021年03月02日 17:45
聖書 マタイによる福音書21章1-11節
主イエスは、エルサレムに入城されるにあたって、自ら王としての儀式を持って入城して行かれました。エルサレムの人々も王として主イエスを迎えました。エルサレムは丁度、過越しの祭りの前で、ユダヤ全土から多くの巡礼者が来ていました。大勢の群衆は自分の上着を道に敷き、王を迎える礼儀で、棕櫚の枝を取って主イエスを迎えました。6節「ダビデの子ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」は群衆の王を迎える言葉として記されています。この日から一週間、主イエスはエルサレムにおいて、その救いの御業を完成するために苦しみをお受けになるのです。