宣教

2020年09月22日 06:03

2020.9.27 宣教「御旨を問う」

聖書 ヨナ書1章1-16節 今朝の説教はヨナ書です。ヨナは神からの命令を無視して、神の力の及ばない所へ逃げようとしたのです。わたしたちが神の召しに従わないで不信仰に陥るということは、ただ少し神を脇に置いておくということではありません。それは、神否定です。 ヨナが三日三晩、巨大な魚の腹の中にいたことは、イエスが十字架のあと、お墓の中で過ごし三日目に復活されたことを想起させます。ヨナは一旦はニネベを拒否しましたが、再度、神の命令によってニネべに向かいました。二度目の召しでは「ヨナが語る言葉は主が与えてくださる」だから「心配いらない」と告げられたのです。ヨナ自身が主体の時は、恐れしかなかったのでヨナ
2020年09月20日 00:00

2020.9.20 宣教「苦難に対する態度」

聖書  マタイによる福音書27章27-44節 今日学ぶところは、主イエスの十字架に至る道です。マタイは、主イエスがどんなに苦しい思いをして十字架を背負って歩かれたかということは書いてはいません。ただ、裁きの場からゴルゴダへの道を簡潔に書いているだけです。途中の出来事は32節「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」ということだけです。このキレネ人シモンは北アフリカ出身の人です。今までイエスと何の関わりのなかった者が、十字架を背負ったのです。自発性ではなく強制的に押し付けられたものでした。シモンはイエスとの出会いを与えられ、この出来事を通し
2020年09月08日 17:55

2020.9.13 宣教「真実を拒否する者」

聖書  マタイによる福音書27章11-26節  11節に「さて、イエスは総督の前に立たされた」とあります。このマタイの書き方は、人を支配する実力を持ち、正義によって裁くべき権力者のピラトが、全く無力であったということを、この裁判全体を通して明確に示しています。19節「一方、ピラトが裁判の席に着いていたときに」その裁判の発言権もない妻が使いをよこして「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢でずいぶん苦しめられました。」と伝言しています。この総督ピラトには、自分よりもっと上にローマの皇帝という支配者がいました。だから群衆が騒ぎ立て、自分の支配下で混乱が起こることは、自
2020年09月02日 15:01

2020.9.6 宣教「契約の祝福」

聖書  マタイによる福音書27章1-10節  ユダはキリストを裏切ったことを後悔して神殿に銀貨30枚を投げ込んで死んでいきました。祭司長たちはこの銀貨で畑を買い取ります。罪なきイエスの血の代価で買い取られた「血の畑」とは旧約聖書エレミヤ書32章25節の言葉です。神はエレミヤに、エルサレムはバビロン王の手に渡されるが、やがて必ず神が選民を連れ帰り、新しい契約を結び直すと約束されたのです。だから、神はエレミヤに主に仕えなさいと言われたのです。  キリストの十字架の死を巡って、キリストを裏切った2人の弟子とは、一人はペトロ、もう一人はイスカリオテのユダです。ペトロはキリストを裏切りながらも彼は悔い改
2020年08月25日 12:29

2020.8.30 宣教「終末の信仰」

聖書 ダニエル書12章1-13節  誰もが人生の終末を、あるいは世界の最後ということを考えるのではないでしょうか。ダニエルに告げられた神の言葉は12章1節に「国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難」があると記されています。続いて「しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記されている人々は」とあります。2節「多くの者が他の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。」それは永遠の生命に入る者と限りなく恥を受ける者との区別です。聖書は、終わりの時には何もかも一緒に水に流されると、言っていません。そして3節「目覚めた人々は大空の光のよう
2020年08月18日 06:58

2020.8.23 宣教「キリストの苦難の意味」

聖書  マタイによる福音書26章69-75節  主イエスが逮捕された後、ペトロはひっそりとカヤパの官邸の中にもぐりこんだのです。しかし、女中から「あなたはあの人と一緒だった」と言われて、ペテロはそれを否定しました。イエスと共にいることがどんなに大きなことであったか、「主よ共にいてください」これこそ信仰の基本であり、私どもも何度も学んできたことです。この福音書の著者のマタイは、イエスがゲツセマネの園で祈られたときも、ペトロに「わたしと一緒に目を覚ましていてほしい」わたしと一緒にいて祈ってほしいと言われたことを記しています。それがイエスの弟子だということであり、イエスと共にあるということです。私ど
2020年08月11日 07:08

2020.8.16 宣教「キリストの証言」

聖書 マタイによる福音書26章57-75節  マタイによる福音書の中で、キリストの受難のところを、今週と来週の2回に分けてお話します。エルサレムはイスラエルの国中から集まった人々で一杯でした。一年に一度のユダヤの最大の祭りである過越しの祭りのお祝いでした。イスカリオテのユダは、キリストを敵の手に渡すことをして、祭司長たちは、このユダの手引きによってキリストを捕らえることに成功しました。お祝いの祭りの背後で、黒い影がキリストの周囲に忍び寄っていたのでした。キリストはその事態のすべてをご存知でした。イスカリオテのユダが人目を避けて罪を犯そうとしている時、一方のキリストは、すべての人の罪のために、自
2020年08月06日 06:04

2020.8.9 宣教「愛の偽装」

聖書 マタイによる福音書26章47-56節  52節でイエスが「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた言葉は、剣をもって戦う者は、その剣によって、ある場合には勝つかもしれないが、結局は滅びる。だから国が軍備をもってはならないのだというように一般的に解釈されていると考えられています。イエスの言葉を、そのまま軍備に結びつけることは出来ませんが、剣や棒を持って大勢の群衆が力ずくでイエスを捕えようと争っている中で、主イエスご自身が剣を捨てておられるということに私たちは目を注いでいかなければならないと思います。主イエスご自身がご自分の道を全うするためには、剣を捨てておられるのだということです。
2020年07月28日 12:54

2020.8.2 宣教「キリストの決意」

聖書 マタイによる福音書26章36-46節  今日のテキストは主イエスが逮捕される直前、ゲツセマネでひたすらお祈りをなさったお話です。37-38節「ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』」主イエスは弟子たちに「わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われたのです。主イエスの祈りはますます深くなっていきました。しかし弟子たちは眠ってしまいます。40節「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」と主イエスは言われました。「
2020年07月21日 16:56

2020.7.26 宣教「ダニエルの祈り」

聖書 ダニエル書9章1-19節  1節「ダレイオスの治世第一年のことである。」ダニエルはバビロン捕囚になって66年が経過し、年齢は80歳を超えていました。そのとき、ダニエルはエレミヤ書を読みました。聖書を読み、こうして2節「さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように70年という年数のあることを悟った」のです。そこでダニエルは祈りました。4節から19節はダニエルの祈りです。祈りの中でダニエルは「我々は罪を犯しました」と言っています。迫害されるものが迫害するものと同じように罪を犯したというのです。「神よ、わたしたちは罪を犯し、

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