2019年11月23日 06:53
聖書 哀歌1章16-22節
「哀歌」は全体で5章からなる短い書です。この書の主題は、都エルサレムの陥落と南ユダの国の滅亡です。ヘブライ語でこの「哀歌」は「エーカー」と呼ばれ、それは、「どうして?」「なぜだ?」という意味です。イザヤ書1章21節に、イスラエルの堕落について「どうして遊女になってしまったのか、忠実であった町が」と記されています。イザヤ、エレミヤなどの預言者が神の言葉を伝えました。でも、イスラエルの民は預言者の言葉を聞いても罪の意識がなかったのです。やがて、イスラエルの国が滅び、民はバビロン捕囚となり、エルサレムは荒廃しました。イスラエルの国は崩壊し、エルサレムが破壊されて、初めて
2019年11月12日 21:07
聖書 マタイによる福音書21章12-17節
十字架につけられる直前、イエスは厳しい決意をもって、ろばに乗ってエルサレムにお入りになりました。そして、そのまま神殿に直行なさったのです。12-13節「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている』」と。大混乱が生じたことと思います。主イエスには怒りがありました。この神殿に群がる人々に向かって、「あなたたちは、それを強盗の巣にしている」と言われたので
2019年11月10日 19:19
聖書 マタイによる福音書21章1-11節
主イエスは「柔和なお方」です。ろばの背中に乗ってエルサレムにお入りになりました。主イエスのやさしさは「ろばを選ぶやさしさ」です。ろばという意味は「愚か者」という意味を持つものです。ろばみたいな男というと、鈍感な値打ちのない男という意味もありますが、ろばは、背の小さいくせに我慢強い動物です。そのろばに乗った主イエスをユダヤ人たちは、「ダビデの子ホサナ、主の名によって来られた方に、祝福があるように、いと高きところにホサナ」と言いました。神が遣わされた御子イエスを、私たちが真実の王として迎え入れるところから、私たちに真実の自由が生まれます。王が私たちを支配
2019年11月02日 06:24
聖書 ルカによる福音書16章19-31節
聖書では天国と地獄をどのように考えているのでしょうか。特にイエス・キリストはどのように教えておられるのでしょうか。具体的に記されているのが、今朝のテキストです。
金持ちが死んで、葬られ、陰府に行って苦しみながら、ちょっと目を上げると、23節「宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロが、はるか彼方に見えた」。金持ちの男は6人兄弟の長男でしたので、せめて他の兄弟が、自分と同じような苦しみに遭わないように何とかしていやりたいと思いました。そこでアブラハムに頼みました。わたしの父親の家にラザロを遣わして、兄弟たちによく言い聞かせてくださいと頼みました。し
2019年10月23日 16:37
聖書 ホセア書11章1-9節
ホセアは紀元前8世紀の北イスラエル王国の預言者です。ソロモンはイスラエルを統一し非常に繁栄した王国を建てました。しかし、その後、12部族の族長が不満を持っていることを知ったヤロブアムは、イスラエルの北に位置する10部族をまとめてイスラエル王となりました。それによってイスラエルは北イスラエルと南ユダに分裂しました。北イスラエルはヤロブアムの後に続く王は、暗殺され短命の王が続きます。当然、国は乱れて、その結果、北イスラエルは滅亡へと突き進んでいきました。預言者ホセアは、北イスラエルの政治の腐敗と罪の上に富が築かれていることを厳しく批判しました。ホセア自身、家庭の悲
2019年10月21日 08:40
聖書 マタイによる福音書13章44-46節
今朝は「秋の特別伝道礼拝」として武蔵野緑教会牧師の柳下明子牧師をお招きいたしました。
44節「天の国は次のようにたとえられる」とイエス様は二つのたとえ話をされました。一つは「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」もう一つは44-45節「商人が良い真珠を探している。高価な真珠を見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
柳下先生のお話は簡潔で大変にわかりやすく、頭にスーッと入っていく感じでした。ぜひ、「礼拝案内」の下方から「実況ライブ配信」をクイッ
2019年10月14日 08:58
聖書 ルカによる福音書16章19-31節 台風19号が東京を直撃しました。水元教会の近くの中川が氾濫の可能性があるという警戒送信が何度もありました。多分、昨夜は不安のなか過ごされた方も多かったと思います。心配していた中川は氾濫することはありませんでしたが、台風一過の朝、交通機関の乱れもあり礼拝欠席をされる方々もありました。 そのような中で、今朝は神学校日のため礼拝説教は農村伝道神学校から松永明夫神学生にして頂きました。 聖書はルカ16:19「金持ちとラザロ」の記事からのお話でした。毎日贅沢に暮らす金持ちと、その金持ちの門前に横たわって暮らしていたラザロ。その二人が共に死に黄泉にくだりました。金
2019年10月04日 12:32
聖書 エフェソの信徒への手紙4章1-16節
水元教会は1994年10月4日に西水元2丁目で伝道を開始しました。伝道を始めたのは、堀切教会を40年牧会して来られた齋藤宏牧師です。ご自宅の6畳2間を開放して、家の教会として始められました。10年間そこで伝道が行われて来ましたが、2005年3月より現在のこの場所に移転いたしました。この水元教会が25周年を迎えるにあたり、この記念感謝礼拝の説教の題を「愛による成長」としました。エフェソ書から共に感謝をもってみ言葉を学びたいと思います。この4章は、キリストの体である教会をどのように形成していくかということが繰り返し言われており、教会の中心はキリストである
2019年09月25日 06:45
聖書 旧約聖書コヘレトの言葉1章1-18
この書には「空しい」と言う言葉「太陽の下で」という言葉が多く出てきます。「この世はすべて空しい」」「すべてのことに意味がない」とコヘレトは繰り返しています。そんな空虚なものを求めている人間がいかに多いことでしょか。そこに人間の本当の喜びはあるはずがない。人間の地位や財産や名声も、あるようで本当は何もないものです。新約聖書のコリントの信徒への手紙Ⅰの13章13節には「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」私たちは、神の愛こそが力であり、それを信じて、自分の生涯を生きていく時、神は必ず保証してくださることを深
2019年09月17日 06:23
聖書 マタイによる福音書20章29-34節
今朝の二人の盲人の奇跡物語はマタイだけでなく、マルコとルカにも記されています。二人の盲人が通りがかりのイエスに「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と30節と31節でも繰り返し叫びました。この二人は道端に座って物乞いをしているようです。「私たちを憐れんでください」とは「主の名によって、私たちに恵みを与えてください。」ということです。イエスが通り過ぎられる・・・二人が叫び求めることがなければ、主イエスはそのまま通り過ぎて行かれたのではないでしょうか。32節「イエスは立ち止り、二人を呼んで、『何をしてほしいのか』といわれた。」33節で二人は