2019年09月10日 16:13
聖書 マタイによる福音書20章17-28節
17節から19節までに三回目の受難の予告が記されています。19節「異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである」と。これまではただ「殺される」という表現でしたが、ここでは、十字架につけられ、神に呪われた罪人として殺されると言われました。「そして、彼は三日目によみがえる」と復活予告が続きます。この復活の預言を聞いたゼベダイの子の母が、20節「その時、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした」のです。ゼベダイの子とはヤコブとヨハネの二人です。その母が、「何が望みか」と問われて
2019年09月03日 15:33
聖書 エフェソの信徒への手紙4章1-6節
本日の礼拝は、「一日修養会」のプログラムの中に組み込まれています。午後からの修養会では「信仰の同労者」を主題にして、副題に「わたしにできること」をみんなで考えて行くことになりました。水元教会がこれからどのように地域社会と交わることが出来るのか自分の問題として捉えて考えて行きたいと思います。教会が一つの計画が立てられ実行していきます場合、最も大切なことは、それにかかわる人が心を一つにしてということです。パウロは、1-4節では、お互いが出来るだけ謙虚で、柔和で、寛容で、愛情をもって、忍び合い、平和の絆で結ばれていくことを申しました。4節「体は一つ、霊は一
2019年08月28日 05:58
聖書 マタイによる福音書20章1-16節
一日中働いた人が、半日しか働かなかった人や1時間しか働かなかった人よりも多くの賃金を得るのは当たり前だ、それが世間の常識だと私たちは考えてしまいます。しかし、この物語の内容は全く違いました。賃金は一日中働いた人より、1時間しか働かなかった人から順に同じ1デナリオンが支払われたのです。そこで、一日中働いた人が不平を言いました。ぶどう園の主人は15節「わたしの気前のよさをねたむのか」と言われています。ここに一日中働いていた人たちの妬みが問題にされました。この主人は、神を表すものです。ぶどう園は、朝早く連れて行った者だけでもう十分に労働力は確保できていたか
2019年08月25日 13:59
聖書 旧約聖書 ヨナ書1章1-16節
今朝は藤垣昭雄牧師が佐野教会で礼拝奉仕のため、安増幸子牧師による宣教です。
預言者ヨナは神様の呼びかけから逃れようと、ニネベの町と反対のタルシュシュ行きの船に乗り込みます。しかし船は荒れ、くじに当たったヨナは海に投げこまれてしまいます。大きな魚に飲み込まれたヨナは三日三晩主に祈りをささげます。やがて陸に吐き出されたヨナに主は再びニネベの町に行くよう命じられ、ヨナはニネベの町に「悔い改めなければ40日でニネベの都は滅びる」と呼びかけます。するとニネベの人々は神を信じ悪から遠ざかりニネベの町は災いから逃れることが出来ました。しかし、この出来事にヨナは不満を抱き
2019年08月16日 05:59
聖書 マタイによる福音書19章13-29節
この金持ちの青年の記事は、永遠の命を得るために、この青年は何をすべきかという質問です。2000年前に、イエスの前で思い悩んだ一人の青年の悩みは、現在も私たちの悩みでもあります。若い心は、たとえばある思想に動かされる人もあり、あるいは芸術に、科学に、政治に動かされていくこともあります。この青年はイエスの前に立ちました。その時、イエスが、「すべてを捨ててわたしに従いなさい」と言われました。また「あなたに欠けているものがまだ一つある」と言われたのは、まさに青年にこの神への畏敬を迫られたことにほかなりません。不幸にして青年はイエスの言葉に、理解することなく、
2019年08月12日 06:41
マタイによる福音書19章13-29節
永遠の命を津gyためには、すなわち真理を把握するために、いったいこの青年は何をすべきかという質問です。2000年前に、イエスの前で思い悩んだ一人の青年の悩みは、現在の私たちの悩みでもあります。若い心は、いつもいろいろなことに心が揺れ動きます。芸術、科学、スポーツに動かされていくこともあります。しかし、多くの人は神を畏れる心が見失われています。この青年はイエスの前に立ちました。その時、イエスが「すべてを捨ててわたしに従いなさい」と言われました。また「あなたにかけているものがまだ一つある」と言われたのは、青年にこの神への畏れを迫られたことでした。不幸にして青年
2019年08月08日 19:49
聖書 マタイによる福音書19章1-12節
6節「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」すると、7節でファリサイ派の人達が「では、なぜ、モーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか」と、すなわち、モーセは離婚をする権利を夫に認めているではないか。と問いました。そこでイエスは8節「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」この「初めから」というのは、4節に出て来る「創造主は初めから」という言葉と同じです。旧約聖書の創世記2章にあるように、神は天地を造り、人を造られた。そして「主なる神は言われた。『人が独りで
2019年07月30日 12:56
聖書 マタイによる福音書18章21-34節
21節「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか』イエスは言われた。『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。』」ペトロの「7回までですか」という問いに対して主イエスは「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」とお答えになりました。ユダヤでは7という数字は完全数です。その7の70倍というのは、無限に赦しなさいということです。そこで23節以下の天の国のたとえ話を始められました。ある僕が、王から膨大な金額の借金を赦してもらったにもかかわらず、その後
2019年07月25日 15:43
聖書 コヘレトの言葉12章1-14節
「コヘレト」という言葉の意味は説教者、または教師を意味します。これを書いたのは1章1節に「エルサレムの王、ダビデの子」と記されていることから、伝統的にソロモンとされています。ソロモンはイスラエルの3代目の王で、栄華を極めました。ソロモンは若い頃に「雅歌」を書き、成熟期に「箴言」を、そして老いてから「コヘレト」を書いたと言われています。が、コヘレト1章2節には「何という空しさ、すべては空しい」と書き出しているのです。また、この「空しい」と言う言葉が35回も出ています。しかし、今日のテキスト、コヘレトの最後の章の12章1節には「青春の日々こそ、お前の創造主に心
2019年07月21日 06:24
聖書 マタイによる福音書18章15-20節
今朝のテキストは、15節の「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」という言葉から始まります。イエスが教会について大切なことを語っておられるところです。どういう罪を語られているのか分かりませんが、罪というものがとても重く、重大なものだということを集中して語られました。罪は教会にとって大きな主題です。教会が罪についてどう処置するかということを、集中して語っておられます。教会には、立派な愛の満ちた信仰深い人ばかり集まるところだという思いがあるだけに、教会の仲間が罪を犯したら、どうしてよいのか分からなくなります。ここで主