2019年07月09日 15:32
聖書 マタイによる福音書18章10-14節
今朝のテキストは主イエスのたとえ話としてよく知られています。12節「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」羊はわがままで、道に迷いやすく弱い動物です。ユダヤ人にとって羊は自分の命のように大切にしていました。自分の羊が一匹でもいなくなったということは大変なことだったのです。捜しに行くのは当たり前のようですが、しかし同時に、羊飼いにとっては遺された九十九匹もまた極めて大切なものだということです。迷子になった一匹の羊にも、大切な弟子たちにも、深いキ
2019年07月01日 11:44
聖書 マタイによる福音書18章1-11節
「いったいだれが、天国でいちばん偉いのでしょうか」という質問は、弟子たちがいつも考えていたことだと思います。主イエスは3節で「心を入れかえて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることは出来ない。」と言われました。私たちの毎日の生活の中で「子どものように」という生き方をして生きている人はどれだけいるでしょうか。そういう雰囲気を漂わせる人はそれほど多くいないのではないでしょうか。子どもは無邪気で純粋で純真です。そこに値打ちがあります。大人になると、だんだんそこから離れてしまいます。子どもが偉いのではありません。4節「自分を低くして、この子どものよう
2019年06月25日 14:26
聖書 アモス書8章1-14節
ヘブライ語で「果物」は(カイツ)と言い、「終わり」は(ケーツ)です。この二つの言葉は、よく似ています。イスラエルの民が果物の籠を神の前に置いて、これが私たちの幸せ、神から祝福を受けているしるしですと言ったとき、神は、いや違う。それは滅びのしるしだ、そのように言われたのです。アモスがこれを語ったとき誰も耳を傾けた者はいません。しかし、アモスの言葉に新しいものは何もありません。ただ神を愛すること。隣人を愛すること、偽りを言ってはならない、ごまかしてはならないということです。これは誰もが知っている神の掟であり、こういうことは人間の常識でもあります。まことに単純な真理を
2019年06月18日 11:35
聖書 マタイによる福音書17章22-27節
「一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。『人の子は人々の手に渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する』」と弟子たちに語られました。キリストを取り囲む人々の考えが、キリストのお考え、キリストの意志と違っていたとしても、まさか弟子たちの中の一人がキリストを裏切るということは、予想もつかないことでした。ユダは選ばれて、弟子たちの中で会計の役をしていました。そのことは大切な存在であったことを意味しています。そのユダがなぜ裏切っていったのか。ユダはキリストに選ばれながら、キリストに最後まで従うことが出来ませんでした。このユダはキリスト
2019年06月06日 16:57
聖書 使徒言行録2章1-42節
今日は聖霊降臨日です。イエスの弟子たちに聖霊が降り、彼らによって教会の歴史が始まったことを記念する日です。14節から36節はペトロの説教です。聖霊降臨の日、キリストの復活について教会が公然と語り始めたことにある、この代表するペトロの説教こそ生きた聖霊の働きのしるしです。それまでは、弟子たちの中には誰が最も高い地位につくかという意識が強くありました。ペトロは右大臣、ヤコブは左大臣になるだろうと、それぞれが対抗意識がありキリストから選ばれた12人が一つであったということではなかったと思います。しかし、このペンテコステの日に、聖霊を受けた全く変えられていったのです。
2019年06月01日 05:45
聖書 マタイによる福音書17章14-21節
イエスと3人の弟子が山の上にいて、残りの9人の弟子たちはイエスのお帰りを待っていたとき、そこに一人の男が、てんかんの子を連れて来ました。イエスはおられないが、弟子たちにも治せるはずだと思ったのですが、しかし、何も起こりませんでした。弟子たちの信仰に何が欠けていたのかを思い知りました。イエスは「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまで、わたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」と言われました。イエスが我慢するということは、怒りを抑えて耐えておられるのではなく、いつまであなた方の不信仰を支えていられ
2019年05月15日 06:24
聖書 マタイによる福音書17章1-13節
主イエスはペトロとヤコブとヨハネの三人の弟子と共に高い山に登られました。この三人の弟子たちの前で、主イエスのお姿が変わりました。2節「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」これは「主イエスの変貌」と呼ばれてきた出来事です。このことは主イエスの本質、または正体が明らかになったことであり、人としてこの世に生きておられる主イエスが、神の子としての姿を、ここで明らかにしてくださったということです。その主イエスの姿を見たときにペトロは言いました。4節「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」すると、このペトロの言葉に応えるように、は
2019年05月07日 13:39
聖書 マタイによる福音書16章21-28節
5月第二日曜日は「母の日」です。アメリカの教会で始まりましたが、1920年ごろから日本の教会でも母の日をお祝いするようになりました。今、天国にある母、あるいは今もこの地上にある母、母なくしては私どもの今日という日はありません。聖書の中には、愛について書かれた個所がいくつもあります。コリント第一の手紙13章7節「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。一度忍んだからよいということでもなく、一度信じたらよいということでもありません。忍ぶという言葉は忍耐するという言葉ですが、それには包み隠すという意味があります。愛は、人間の失敗とか、
2019年04月30日 15:13
聖書 マタイによる福音書16章13-20節
16節「シモン・ペロとが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた」とあります。 イエスは、13節で「弟子たちに、人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった」のです。弟子たちの中には「洗礼者ヨハネだ」あるいは「預言者エリヤの再来だ」という人もありました。また優れた預言者であったエレミヤだと言っています。このように様々な理解がありました。 ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。これが「ペトロのキリスト告白」です。この時に初めて人間の言葉、口をもって、イエスは神の子であり、メシア、キリストであると信仰の告白が語