宣教

2019年04月02日 19:14

2019.4.7 宣教「イエスを裏切ったユダ」

聖書 マタイによる福音書27章1-10節  1-3節に「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下さったのを知って後悔した」つまり、イエスが引き立てられる姿を見たときに、ユダは自分のしたことを後悔しました。ユダは自分のしたことがどんなに大変な事柄であったかという思いにいたったのです。ユダは、後悔すると「銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして」とあるように、彼は悔いた時に、すぐに形を表そうとしています。明らかにこの告白は、不正であった手口に対して、自
2019年03月27日 15:44

2019.3.31 宣教「ペトロの生涯」

聖書 ヨハネによる福音書13章36-38節  ペトロの生涯を思うとき、信仰というのは非常に不思議なもの、本人の自覚を超えたものと言えます。信仰が続くか、または途中で無くなるかは、本人たちの気持ちや意志とかによるのではなくて、背後でイエス・キリストが執り成してくださっているからだと思います。37節「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」とペトロが覚悟しても、その強い決心や覚悟さえ、一夜の夢よりもはかないものだったのです。聖書には、イエスが捕らえられた時にペトロが三度もキリストを拒否したと記されています。しかし、ペトロは悔い改めてキリストのもとへ帰っていくのです。ペトロ
2019年03月18日 09:46

2019.3.24 宣教「ナルドの香油」

聖書 ヨハネによる福音書12章1-11節  この出来事は「過越しの祭りの6日前」すなわち、キリストが十字架にかかられる6日前ということです。ベタニアのラザロの家でマリアが高価で純粋なナルドの香油を持って来て、自分の髪の毛でイエスの足を拭いました。足というのはもっとも汚れたところで、その一番汚いところに、高価な油を振り自分の頭の髪の毛で拭ったのです。このマリアのキリストに対する態度は、言葉を持って表すことのできない愛と尊敬の表れです。4節でイスカリオテのユダは「なぜ、この油を300デナリオンに売って、貧しい人たちに施さなかったのか」と言いました。もったいない、貧しい人に施せば、どんなに喜ぶか分か
2019年03月12日 07:41

2019.3.17 宣教「時は満ちた」

聖書マルコによる福音書1章14-15節  今朝の14-15節は、イエスがガリラヤにおいて伝道活動を始められたことを記すところです。イエスのガリラヤ伝道の中心になった言葉は、三つの言葉で言い表されています。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。このことは説教者も聖日ごとに語ることでもあります。「時は満ちた、古い時は過ぎた、新しい救いの時が来た、神の国は近づいた。だから、悔い改めて、この神が告げてくださっている福音、イエスが告げておられる喜びの言葉を信じましょう」と繰り返します。「時が満ちる」というのは、キリストがこの世においでになったということは、それは偶然ではありません。
2019年03月05日 12:36

2019.3.10 宣教「朝の祈り」

聖書 マルコによる福音書1章29-39節  35節「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」と記されています。ということは、弟子たちが目を覚ましてみると、イエスはおられない。イエスは「人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」のです。この一人で人里離れて祈られる姿を思う時、思いついたときにだけ祈るのではなく、このようにして、イエスはいつも祈っておられていたのだと思います。自分の思いではなく神の御心を求め祈る姿です。人々の評判が高くあればあるほど、その中でイエスの闘いは深まったと思います。神への祈りの中で、イエスはご自分の使命をもう一度、見定められ
2019年02月27日 17:31

2019.3.3 宣教「今の時を生きる」

聖書 マタイによる福音書16章1-12節  1節に「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った」と記されています。二つの派がお互いの立場の相違を超えて、キリストを死に追いやるための共同戦線で、このような悪意に満ちた質問をしたのです。この問いに対してキリストは、2-3節「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることが出来ないのか」と答えられました。キリストは続いて、4節「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲
2019年02月20日 15:52

2019.2.24 宣教「ナオミとルツ」

聖書 ルツ記1章1-20節  旧約聖書の士師記の次に「ルツ記」が記されています。この士師の時代、ベツレヘムに飢饉が襲ったので、エリメレクと妻ナオミは二人の息子を連れてベツレヘムからモアブに移り住みました。やがて夫エリメレクは死んでしまいます。ナオミは二人の息子たちにモアブの女性を嫁に迎えましたが、二人の息子も子どもが生まれないうちに死んでしまいました。ナオミは孤独の中で自分の故郷で死ぬことを願い、ベツレヘムに帰ることを決めました。ナオミは二人の嫁に、あなたたちは若いから故郷に帰り再婚するように言いました。しかし、嫁の一人であるルツはナオミから離れようとしませんでした。ルツは姑ナオミのために自分
2019年02月14日 18:31

2019.2.17 宣教「カナンの女」

聖書 マタイによる福音書15章21-28節  28節に「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」と主イエスは言われました。このような言葉を頂いた婦人とはどのような信仰だったのでしょうか。それまで、イエスは弟子たちには2度も「信仰の薄い者たちよ」と言われました。このカナンの女にどうして「あなたの信仰は立派だ」と言われたのでしょうか。この婦人は自分の娘が悪霊に取りつかれて苦しんでいるので、ただ「主よ、どうかお助け下さい」と叫んだだけです。しかし、この時、イエスの答えは冷たく、26節「イエスが、『子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない』」と答えられたとあります。驚くべき軽蔑の言葉です。それでも、この母
2019年02月06日 18:04

2019.2.10 宣教「神の言葉に出会う」

聖書 マタイによる福音書15章1-20節  今日のテキストの中心的な主題は、「人が聖なる生活をするということはどういうことか」ということです。ファリサイ派の人々や律法学者は、イエスの弟子が食事の前に手を洗わなかったということで、ユダヤ教の言い伝えを破っていると問題にしました。ユダヤ教徒は宗教的な習慣から、真面目にこの言い伝えによる生活を重んじて来ました。しかし、そこで、主イエスは3節で「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか」とファリサイ派の人たちの言葉を返されたのです。つまり、神の御言葉の権威にもう一度従うべきだということです。  そして、ここで取り上げらたことは「
2019年01月29日 17:40

2019.2.3 宣教「恐れることはない」

聖書 マタイによる福音書14章22-36節  弟子たちはイエスに送り出され、湖の上で嵐に遭いました。夜のことです。逆風に妨げられて前に進むことが出来ませんでした。そこにイエスが突然登場されたのですが、弟子たちはイエスと認めることが出来ませんでした。「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげたと記されています。すると28節で「ペトロが答えた。『主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください』。イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。」ところが30節で「しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主

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