2019年01月28日 09:50
聖書 ルカによる福音書21章1-9節
本日は、講壇交換のため堀切教会 真鍋孝之牧師による宣教でした。
堀切教会の新会堂建設中にあり大変なお仕事の最中でもありまして、真鍋先生自身も大病との闘いの日々と伺っておりました。しかし、今朝の宣教は「私たちキリスト者の捧げる生活とは、いかなる時にも神の恵みに感謝する者として日々の生活に感謝を献げる」ことと大変に力強く語って下さいました。
真鍋先生、ありがとうございました。堀切教会の上に、真鍋先生のお身体の上に、神様の支えと豊かな恵みをお祈りいたします。
尚、礼拝の様子は「礼拝案内」で配信されておりますので、どうぞご覧ください。
2019年01月20日 06:59
聖書 マタイによる福音書14章13-21節
14節「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた」これは主イエスのご計画にはありませんでしが、群衆の憐れむ姿によって計画を変更なさいました。夕方になり、弟子たちも群衆たちもお腹がすいていました。15-16節「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れたところで、もう時間もたちました。群衆も解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなた方が彼らに食べる物を与えなさい』」そのとき、自分たちの手の中にある物を数えてみると
2019年01月09日 17:18
聖書 マタイによる福音書14章1-21節
1~12節では、ヘロデ王の誕生日の行われた祝宴の様子が記されています。その祝宴の中でへロディアの娘が踊りました。ヘロデはその娘に魅了され、ヘロディアに唆された娘の願いどおり、洗礼者ヨハネの首をはねるという狂気の沙汰が行われました。これに続く13~21節では、人里離れた所で、食べ物の用意もなかった民衆のために、イエス・キリストが5つのパンと2匹の魚とで整えてくださった食事の物語があります。ヘロデの宴会と対比を見せる野外のイエスの宴会でもあります。イエスが野外に作ってくださった食事の席は、その後、キリスト者が教会で祝う聖餐の原形であると考えるようになりま
2019年01月03日 17:12
聖書 マタイによる福音書13章53-58節
53節「イエスは・・・」54節「故郷にお帰りになった。」しかし「会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」と記されています。「驚いた」と訳されている言葉は、「びっくりしてひどく驚いてあっけにとられる」そういう意味の言葉です。こうして人々はイエスにつまずいたのです。「どこから得たのだろう」という言葉は56節にも同じ言葉が繰り返されています。イエスの教えの出どころが分からない、人々はそのことが分からないので、疑問も解決できない。人々はイエスの何につまずいたのか。イエスは大工でした。何の称
2018年12月28日 16:20
聖書 ヨブ記42章1-6節
42章1-6節はヨブの応答の重要なところです。2節「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることは出来ないと悟りました。」そして、3-4節「『これは何者か。知識もないのに、神の経綸を隠そうとするとは。』そのとおりです。わたしは理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。『聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。』」と、神の言葉を引用しながら、神の弁論に対する同意であるということを明らかに致しました。4-5節も神の言葉を要約しています。そして5節「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」と、ヨ
2018年12月20日 05:03
聖書 ヨハネによる福音書1章1-5節
今、説教の前に子どもの教会のスタッフからクリスマスの絵本を読んで頂き、イエス・キリストの降誕を分かりやすく知ることが出来ました。今から約2000年前に、ユダヤの国のベツレヘムというところで男の子の赤ちゃんが生まれ、イエスと名付けられました。しかし、今朝のテキストのヨハネによる福音書には、クリスマス物語に出て来る羊飼いや、東の国から博士たちがはるばるやって来るということは書かれていません。
ヨハネによる福音書でのクリスマスは、1章9節「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」と書かれているのです。クリスマスというのは、すべての人を照ら
2018年12月12日 17:41
聖書 ゼカリヤ書2章14-17節
14節「娘シオンよ、声を上げて喜べ。わたしは来て、あなたのただ中に住まう、と主は言われる」。この「シオンの娘」とは、必ずしも特定の娘たちのことを言っているのではなく、すべての娘という意味です。「声を上げて喜べ」この日は悲しみの日ではなく、心の不安な日でもなく、この日はすべてのものが喜び歌う日だというのです。なぜなら「わたしは来て、あなたのただ中に住まう、と主は言われる」と言うことです。捕囚となったイスラエルの民は、神殿の再建を目指して励んできましたが、しかし、やがて社会や人からも批判され、いつの間にか信仰が冷えて行きました。彼らはエルサレムにいる信仰者でした
2018年12月04日 13:59
聖書 イザヤ書11章1-10節
教会生活をされている方は、クリスマスを祝う礼拝の中で、このイザヤ書11章1-10節を読まれたことがあると思います。特に「エッサイの株から一つの芽が出る」ということば、それは主イエス・キリストのことです。このように旧約聖書の中でキリストの出現を記しています。その時に何が起こるかと申しますと、6節以下のイザヤのことばです。
「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く...」平和が来る、その日神の御業を喜ぶ者が感謝をし、歌を歌わずにはおれなくなるのです。イザヤのメッセージは、神に信頼している平和ですから、武器を持
2018年12月01日 09:55
聖書 ローマの信徒への手紙13章11-14節
今日は待降節第1主日です。特に今朝は「あなたがたは眠りから覚めるときが既に来ています」ということを中心にして考えてみたいと思います。信仰というのは、目を覚ましているということです。私たちの生活は、みんなと一緒だから大丈夫というのではなく、単独であっても、いつ、どういうことが起こるかもわからないということを考えながら生きていかなければなりません。私たちの人生は、非常に厳しい厳粛さというものを持たないで何かふらふらして生きていると、そのような時にしばしば事故が起こります。「あなたがたが眠りから覚めるべき時」とは、私たちが自分に目を向ける時、自分はい
2018年11月21日 06:15
聖書 旧約聖書 ヨブ記38章1-11節
ヨブ記は42章までありますが、その中で初めの1章、2章と終わりの38章から42章でしか神は語っていません。3章から37章までは神は一言も語りません。神の沈黙のもとで、ヨブは苦しみ神を求めて泣き、そのヨブを慰めるために3人の友人とエリファズは、ヨブの罪や人生について語り、神を論じています。その友人たちの対話に、すべて神は沈黙しています。
今日学ぶ38章1節「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった」とあるように嵐の中から神は語りかけられました。2節「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。」とあります。神の経綸とは、神の掟、創