2018年12月04日 13:59
聖書 イザヤ書11章1-10節
教会生活をされている方は、クリスマスを祝う礼拝の中で、このイザヤ書11章1-10節を読まれたことがあると思います。特に「エッサイの株から一つの芽が出る」ということば、それは主イエス・キリストのことです。このように旧約聖書の中でキリストの出現を記しています。その時に何が起こるかと申しますと、6節以下のイザヤのことばです。
「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子どもがそれらを導く...」平和が来る、その日神の御業を喜ぶ者が感謝をし、歌を歌わずにはおれなくなるのです。イザヤのメッセージは、神に信頼している平和ですから、武器を持
2018年12月01日 09:55
聖書 ローマの信徒への手紙13章11-14節
今日は待降節第1主日です。特に今朝は「あなたがたは眠りから覚めるときが既に来ています」ということを中心にして考えてみたいと思います。信仰というのは、目を覚ましているということです。私たちの生活は、みんなと一緒だから大丈夫というのではなく、単独であっても、いつ、どういうことが起こるかもわからないということを考えながら生きていかなければなりません。私たちの人生は、非常に厳しい厳粛さというものを持たないで何かふらふらして生きていると、そのような時にしばしば事故が起こります。「あなたがたが眠りから覚めるべき時」とは、私たちが自分に目を向ける時、自分はい
2018年11月21日 06:15
聖書 旧約聖書 ヨブ記38章1-11節
ヨブ記は42章までありますが、その中で初めの1章、2章と終わりの38章から42章でしか神は語っていません。3章から37章までは神は一言も語りません。神の沈黙のもとで、ヨブは苦しみ神を求めて泣き、そのヨブを慰めるために3人の友人とエリファズは、ヨブの罪や人生について語り、神を論じています。その友人たちの対話に、すべて神は沈黙しています。
今日学ぶ38章1節「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった」とあるように嵐の中から神は語りかけられました。2節「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。」とあります。神の経綸とは、神の掟、創
2018年11月14日 06:09
聖書 マタイによる福音書13章24-30節
伝道が前進していく中で、初代のマタイの教会においても、混乱が生じました。天の国は「からし種のようなもの」です。小さな種が伸びて枝をはるように、伝道は素晴らしく前進しました。しかし、異物が混じってきました。教会の成長が、外からよりも内部から崩れる危険にさらされているのです。教会もまた世間と同じと思うようになります。教会になぜ毒麦が生えてしまうのか?このマタイによる福音書は、そういう闘いの中でも、主イエスの言葉をほめたたえています。
「天の国は、良い種を自分の畑に蒔いておいた人のようである」というたとえ話から始まります。主人の言う通りに、選ばれた良い種
2018年11月06日 15:40
聖書 マタイによる福音書13章1-23節
3-9節の「たとえ話」では「蒔かれる種」も「種の蒔き方」も同じです。ある種が丁寧に蒔かれ、他の種は乱暴に蒔かれたというのではありません。どの種も土に「落ちた」だけです。ただ落ちた種を受け止める「土地」の違いがありました。最初の土は「道端」です。おそらく畑のそばのあぜ道に落ちたのでしょう。第2の土は「石だらけで土の少ないところ」です。岩の上に土の層が薄くあるだけのところで土の少ない所です。第3の土は「茨の間」です。「茨が伸びてそれをふさいでしまった」というのですから、茨の根が残っていた土地でした。そして、第4は「良い土地」です。ここに落ちた種は「百倍、
2018年10月30日 14:31
聖書 マタイによる福音書13章31-52節
主イエスは、天国について弟子たちに教えるために、いくつものたとえを話されました。31節「天の国はからし種に似ている」33節「天の国はパン種に似ている」とは、からし種もパン種も小さなものですが、その小さなものが、大きな木を生み出したり、物を大きく膨らませたりするということです、このたとえのように、神の支配の始まりは非常に小さいということです。目立たない、人々が無視してしまうほどに小さいものです。それが大きく育っていくのです。キリストのこの地上での活動は3年ほどでした。活動の場所は、パレスチナの小さな一部分で、キリストに影響を受けたのはわずかの人たちで
2018年10月24日 15:02
聖書 ヨブ記31章1-40節
ヨブ記の主題は、なぜ、正しく生きる人の苦しみを神は沈黙しているのかという問いであると言えます。私たちにとって、最も不安な時は、神が沈黙しているときです。しかし、神はいつまでも沈黙なさいません。人生のさまざまな苦難に耐え、打ち勝っていくことが出来るのは、私どもの神への信頼、神への信仰の確立によって、苦しみに勝って余りあるという経験をしていくことが出来るのです。ヨブ記において神はどのように登場するのでしょうか。ヨブ記は42章までありますが、始めの1章と2章、終わりの38章から42章でしか神は語っていません。ヨブ記の主要部分であります3章から37章までは、神は一言も語
2018年10月22日 08:37
聖書 ヨナ書4章1-11節
本日は、山梨県峡南教会より森容子牧師をお招きしての特別伝道礼拝でした。
宣教は副題としてールターに学ぶーとなっております。すなわち、旧約聖書のヨナ書を宗教改革者ルターがどのようにヨナ書を読み、解き明かしていたかというお話ですが、今までは子ども向きのヨナの物語としてとらえていたこの旧約聖書の物語の中に、ユダヤ教から、キリスト教へとつながる大切なポイントを非常に的確にお話し下さいました。その論理的な説き明しは目からウロコ的な新しい発見として、私たちの心に深い味わいを与えられたように思います。
森容子先生、大変に興味深いお話を本当にありがとうございました。
2018年10月09日 06:02
聖書 マタイによる福音書12章33-37節
私たちは、しばしば、あのようなことを言わなけばよかったとのにと後悔することがあります。また、あの人は口は悪いが、根は決して悪い人ではないから許してあげよう、と思うことがあります。しかし、今朝のテキストの34節の終わりの方でイエスは「人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである」と言っておられます。水が自然にわきあふれて出て来るのと同じように、私たちの心の中にあるものが、言葉となってあふれて出ているのだと言われるのです。言葉には心が映っています。その「心」は、それは神に対して申し開きをしなければならない心です。私たちは自分だけの心を持ってい
2018年10月04日 10:51
水元教会創立24周年記念礼拝
聖書 マタイによる福音書12章38-45節
主イエスは、このテキストで39節「よこしまで神に背いた時代」41節「今の時代」42節「今の時代」45節「悪い時代」というように「時代」という言葉を多く使われています。主イエスの時代とはどういう時代であったか、私どもの生きるこの「時代」とはどういう時代であるのかを考えてみたいと思います。「時代」とはそこに生まれて生きている人のことであって、すなわち私ども自身のことです。この時代を作っているのはこの時代に生きている私たち自身です。キリスト者も現代に生きています。時代を語るということは、自分を語ることでもあります。
43節の