2018年06月17日 21:23
聖書 ヨブ記1章1節ー22節
旧約聖書のヨブ記は、人間の苦しみとは何か、またその苦しみから逃れる道はどこにあるのかを教えており、苦難の問題を記した書として有名です。旧約では罰のない罪はありません。罪を犯した後には必ず罰が訪れるとされていました。しかし、ヨブ記の主題は理由なき苦難です。義人が苦しむのはなぜか。ヨブはユダヤ人ではありません。これは一般的な一人の人間の苦難としています。人生の苦難は予告なしにやってきます。ここで問われているのは、神が正しい方で、愛の方であるなら、どうしてこのようなことが起こるのか。悪いものが栄え、正しいものが嘆くという矛盾がなぜ起こるのかということです。やがて、ヨブ
2018年06月12日 07:47
聖書 マタイによる福音書9章27-38節
27節「イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、私たちを憐れんでください」と言いながらついて来た。」ここで「ダビデの子よ」とは、救い主を意味して、メシアの称号です。しかし、30節で「二人は目が見えるようになった。イエスは、『このことは、だれにも知らせてはいけない』と彼らに厳しくお命じになった。」当時、ユダヤの人々は救い主を待ち望んでいました。しかし、救い主であることが明らかになる場面で、イエスは「だれにも知らせてはいけない」と厳しくお命じになったのです。しかし、この二人の盲人は、出て行くや否や、主イエスのみわざを言い広め
2018年06月06日 06:22
聖書 マタイによる福音書9章14-17節、エレミヤ書31章31-34節
14節「そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った。」このヨハネというのは洗礼者ヨハネです。当時、信仰に熱心な人であれは、断食をして食を断つことをしました。何のためにするのかというと、神との契約が切れることを悲しんで断食がなされたと言われています。15節で主イエスは「『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しんむことができるだろうか』」という質問をされました。さらに15節の後半で「しかし、花婿が奪い取られる時が
2018年05月29日 18:55
聖書 マタイによる福音書9章18-26節
今朝の聖書に出て来る女性は不幸な人でした。彼女の病歴は12年間という長い年月でした。「医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない」と聖書は記しています。医者に全財産を使い果たすほど、彼女は必死の思いであらん限りの医療を続けて12年が過ぎていきました。一切の身代を使い果たしてしまいました。彼女の不幸はそれだけではありません。女性の出血は不浄とみなされ、彼女のふれたすべてのものは汚れたものとみなされたのです。彼女は社会生活から追放され、誰とも交わりを否定されたのです。この惨めな一人の人間にとって、キリストが町に来られたということは、新しい時
2018年05月23日 06:20
聖書 サムエル記下12章13-25節
19節「ダビデは家臣たちがささやきあっているのを見て、子が死んだと悟り、言った。『あの子は死んだのか』彼らは答えた。『お亡くなりになりました』と、その子が死んだという情況が、繰り返し記されています。ダビデはウリヤの殺害という過去に取り返しのつかない罪を犯しました。、その罰を、今度は何の罪のない子どもの死によって償いがなされることになったというのです。当然死んでいった子供が未解決の問題として残ります。
私たちは、取り返しのつかないことを、どうしたら取り返すことができるでしょうか?新約聖書の最初にマタイ福音書1章1節からイエス・キリストの系図が記
2018年05月15日 18:14
聖書 使徒言行録2章1-4節、ローマの信徒への手紙8章26-30節
ローマ書8章26節「同様に”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、”霊”自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」これは短い言葉ですが、深い言葉だと思います。パウロは最初に「弱いわたしたち」と言っています。パウロはキリストを信じ、キリストが主であることを告白した人です。世間の人は、信仰を持っている人は強い人間だ考えているように思います。パウロはキリストを信じ、キリストが主であることを告白した人です。しかし、パウロ自身は肉体的な持病を持っていました。またそれだけ
2018年05月09日 07:32
聖書 マタイによる福音書9章9-13節
今日のテキストに、多分マタイによる福音書を書いた人だと言われているマタイが登場します。マタイは、10章3節に、イエスに選ばれた12人の使徒の中の一人として記されています。マタイは、どうして主イエスの弟子になったのか。それは、9節「イエスはそこをたち、通りすがりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」。と短く記されています。「わたしに従いなさい」と言われて、彼は主イエスに従いました。このようにマタイが信仰に導かれたのは、非常に単純なことでした。ただイエスの何か説明が出来ないもの
2018年05月06日 05:12
聖書 マタイによる福音書8章28-34節
ここに登場する悪霊に取りつかれた二人は墓場で生活をしていました。人々から離れ、生きながら死んだ人間の仲間に加えられているのです。ます。彼らは、墓場から出て来ては生きている者たちを妨げます。29節「突然、彼らは叫んだ。『神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。』」滅びの霊が、主イエスにイエスを「神の子」と呼んでいることは、悪霊は主イエスの正体を知っていたのです。
もう一つ注目したいのは、「まだ、その時ではないのに」という言葉です。「その時」とは「この世の終わりの時です。悪霊は「その時」は自分たちが滅ぼされる時
2018年04月25日 23:03
聖書 サムエル記下11章1-17節
旧約聖書の面白さとして、一つには人間の両面性を描いているところです。初代の王サウルの後を継いで、ユダ王国の基盤を築いたのはダビデであり、信仰の人として高い賜物を持っていました。一方、聖書はダビデの罪を描いています。ダビデも神に対して肯定的な人格と、罪を犯す人間性をもっているのです。ダビデの過ちについて、それはバトシェバに関わることです。ダビデは、忠実な部下のウリヤの妻バトシェバを側女にしました。ウリヤはダビデの行いに対して気がついていたと思います。ウリヤの心を察すると、命がけで戦地に行っている間に、自分の妻が側女にされたのですから、ダビデへの強い批判があり
2018年04月19日 07:17
聖書 マタイによる福音書9章1-8節
この聖書の箇所は多くの信仰者に愛されている物語です。中風の者が、主イエスのところに人々によって運ばれてきました。その中風の者に「あなたの罪は赦される」と主イエスが言われました。8節に「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。」と記されています。
特に「人間にこれほどの権威をゆだねられた神」とは権威のある言葉を語り、わざをしておられるのは、主イエス・キリストのことです。キリストの特性にはメシアである面と、人間としての面があります。キリストは弟子たちに「お前たちは、わたしを誰と言うか」と質問されました。ペトロは「あなたは