2018年01月29日 12:54
聖書 マタイによる福音書7章13-14節
「命にいたる門」ということは、本当の自分を見出す門という意味です。多くの人は本当の自分を見出すために「命にいたる門」から入ろうとしているでしょうか?
広々とした門や道は誰にとってもその方が楽です。自分の好きなように自分の思い通りに自分の都合によってすることが、聖書では滅びの道を進んでいくというのです。自分の都合でとは自分が中心です。ですから、気が向けば歩くし気が向かないと休むという歩み方です。しかし、もう一つの道は、神に導かれるのですが、それは神に規制される生活でもあります。その神の規制とは、神の掟というのはでなく神の望みになることで、神が私たちの救い
2018年01月25日 17:12
聖書 サムエル記上28章4-19節
サムエル記の初めの頃、イスラエルには王はいませんでした。人々は近隣の国には王がいるので、自分たちの国にも王を立てたいということを言い出しました。主はサムエルにサウルを聖別して油を注ぐように命じました。サウルは非常に美男子で、謙虚な若者でした。しかし王になると、サウルは神からの命令にずれていきました。神のもっとも嫌うことは高慢です。サウルはいつの間にか自分の分を超えて、神に背いて、ついに神から見捨てられてしまいます。サウルは神の命令に90%から95%だけ従って、それで十分だと思ったのです。これは私たちも学ばなければならない教訓です。これくらい従えば、もういい
2018年01月22日 16:11
聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章1-11節
本日は講壇交換のため北千住教会の平沢功牧師にお話をしていただきました。
平沢先生は昨年11月に突然の病のため入院・手術をされました。
その後、順調に回復され退院、12月末の診察では通常の生活まで回復をされました。
今朝のメッセージは大変力強く、私たちの終末に向けての生き方を伺うことが出来ました。
平沢先生、どうも、ありがとうございました。
ぜひ、「礼拝案内」をクリック→下方へ→「ライブ中継アドレス」からメッセージをお聴きください。
2018年01月10日 22:43
聖書 マタイによる福音書7章7-12節
「求めなさい。そうすれば、与えられる」という言葉は、教会外でも一般的によく知られるようになりました。この言葉は人々に勇気を与えてくれました。やれば出来る、ということになったかも知れません。しかし、ここに書かれていることは信仰の話であって、一般常識の話ではありません。
キリストはなぜ「求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい」と私たちをを励まされるのでしょうか?それは、この世に生きる私たちが、主の教えの通りに生きようとして、その道を見失い、自分を見失い、一歩を踏み出せない状態になったら、「求めよ、探せ、門をたたけ」と言われるのです。8節で「だれでも、求め
2018年01月03日 08:49
聖書 マタイによる福音書7章1-5節
2018年を迎えまして、新年を心からお喜び申し上げます。
昨年1月よりマタイによる福音書1章1節から学び始めて、1年間で6章まで学んで来ました。今朝はマタイによる福音書7章1-5節までを通して、考えてみたいと思います。1節「人を裁くな、あなたがたも裁かれないためである」。誰でも人を裁くことは良くないと思っています。この世には不正や悪が満ちている。そのことで人々は苦しみます。しかし、それだからと言って、他者に対して裁きを下してはならないと、イエスは述べています。私たちは裁きを下すとき、最終的な神の裁きを待たなければなりません。
「人を裁くな」ということの
2017年12月26日 14:45
聖書 サムエル記上1章12-20節
1章2節「ハンナには子どもがなかった」という書き出しで始まっています。夫の祭司エルカナには2人の妻がいました。5-6節を読みますと、もう一人の妻のペニナにいじめられ、苦しめられます。夫のエルカナはハンナを愛していたようですが、8節「夫のエルカナはハンナに言った。なぜなくのか、なぜ食べないのか、なぜふさぎ込んでいるのか、このわたしは、あなたにとって10人の息子にもまさるではないか。」この夫のエルカナの妻に対する観察の仕方は、優しい言葉ですが、男の側に立った自己中心的な考え方です。現代でも子供のいじめの自殺が低年齢化しています。いじめの問題はだれにも知られてい
2017年12月23日 18:17
聖書 マタイによる福音書1章18-25節
クリスマスおめでとうございます。
クリスマスの記念礼拝をするにあたり、マタイ1章18節は「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」と書き始めています。最初にマリアが身ごもったこと。それをめぐってヨセフが思い悩んでいた時に、夢の中に天使が現れました。その天使の望みに従って、生まれた子供に、25節「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」ということが書かれています。ヨセフは一つの悩みにぶつかっていました。マリアが身ごもったことです。19節「夫ヨセフは正しい人であった」にもかかわらず、自分のいいなずけに子が宿ったので
2017年12月11日 19:33
聖書 詩編42編1-7節
2-3節「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことが出来るのか」と非常に切実な詩です。パレスチナ地方は、砂漠地帯で干ばつが起こると雨が何日も降らず、すべてのものが乾燥してします。暑さと砂嵐のために、木がないので木陰もない。日照りだけが続いている。そこに住んでいる鹿の姿はいつ死ぬかもわからないという姿です。どこかに水はないかと探し求めている。谷の水を求めるように、わたしの魂はあなたを求める。この詩人の心境は、この世において何もいらない。ただ、わたしが慕い求めるのは、あなたです。
2017年12月07日 16:51
聖書 マタイによる福音書6章33-34節
主イエスは「思い悩むな」ということについて強調されています。29節の後半で信仰の薄い者よ、という信仰が問われました。33節の「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日、自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」この言葉は私どもの人生を徹底的に信仰をもって生きなさいということです。「神の国と神の義を求めよ。そうすればわたしたちに必要なものは必ず与えられるであろう」と主イエスは繰り返し神の国について語られました。主イエスの生涯は神の国の実現を示すものでした。ガリラヤで伝道した時にも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
2017年11月29日 18:14
聖書 マタイによる福音書6章25-32節
人間は思い悩みます。思い悩むことが現代の私どもにも深く根付いています。経済的なこと、食生活のこと、人間関係のことなど、私どもは人の何気ない言葉にも心に突き刺さって、思い悩んでしまいます。人間関係がうまく築けない。互いの心が通じないことが起こります。この「思い悩み」はどこから来るかと申しますと、どうにもならないことを、自分でどうにかなるようにと「思い悩む」ことです。この思い悩みが、私たちの信仰生活を挫折させる結果をもつことがあります。
26節で主イエスは「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈入れもせう、倉にも納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥