2017年05月23日 08:07
聖書 創世記13章1-18節
創世記に出てくる信仰の父と言われるアブラハムの生涯を通して考えていきたいと思います。
12章2節で神はアブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の基いとなるように。」ち言われました。
なぜアブラハムが神に選ばれたのかわかりませんが、それは神の御計画の中にある「神の選び」としか言いようがありません。アブラハムの父テラはアブラハムと孫のロトと、アブラハムの妻サライとを連れて、カナンの地へ行くために、カルデアのウルを出ました。アブラハムの妻サライは不妊の女で、子どもが出来なかった。彼らの未来は開かれていない、もう血筋も閉
2017年05月19日 06:43
聖書 マタイによる福音書5章27-32節
今朝の聖書の箇所は「姦淫するな」、「離婚してはならない」という戒めが記されています。
主イエスはまことに厳しい戒めを語られました。28節「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでみ、既に心の中でその女を犯したのである」というのです。この御言葉は理解できても、だれも実行できないと思うのではないでしょうか。
姦淫の問題は結婚をどう考えるかということです。31節には離婚について語られています。「妻を離縁する者は、離縁状を渡せと命じられている」、当時のお掟では自分の妻を出したくなったら、離縁状を渡せばよかったのです。「妻を出す」というのは、不要な品物を手放
2017年05月13日 07:02
聖書 マタイによる福音書5章21-26節
<中心聖句> 5:22
「わたしは言っておく。
兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」
主イエスは律法について御自分の考えを述べられた。一番初めに出てきたのは、21節「殺すな。人を殺した者は裁きを受ける」というものでした。しかし、22節では実際に殺さなくても「兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける」と言われたのです。これは、律法を文字だけで解釈しないで、その心を考えなさいということを主イエスは言われているのです。そして、22節ではさらに「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に「ばか」という者は最高法院に引き渡さ
2017年05月04日 09:49
聖書 マタイによる福音書5章14-16節
今日の世界は、政治家が過激な発言を繰り返し、非常に国益を主張するという何か危ない状況にあるように思います。それは、自由であって自由を縛り、闇の中へ入り込むような時代と言えるのではないかと思うのです。人間が光を見失い、生きる意味を見失っています。そういう時代に、どう生きて行けばよいのでしょうか。キリスト者としてどのように生きて行かねばならないでしょうか。
今日の聖句で「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」とあります。キリストを信じる者の生活も、世の光とされた者、世を照らす光とされた者として、誰にでも見られるということで
2017年04月27日 16:22
聖書 創世記4章1-15節
エバの産んだ子どもに「カイン」と「アベル」がいました。
カインは「土を耕す者」となり、アベルは「羊を飼う者」となりました。彼らはそれぞれ「主のもとに捧げ物を持って」来ました。
しかし、4~5節「主はアベルとその捧げ物に目を留められたが、カインとその捧げ物には目を留められなかった」。それはなぜか、聖書には何も記されてはいません。
5節「カインは激しく怒って顔を伏せた」6節「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔をあげられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならな
2017年04月22日 07:26
聖書 マタイによる福音書5章13節
<中心聖句>
5:13
「あなたがたは地の塩である。」
ここで、「あなたがた」とは、イエスの弟子たちのことです。そういうことから言いますと、私ども信仰者ということも言えます。キリスト者は「地の塩」であるということです。また同時に信仰者の集まる教会のことを言っています。主イエスを信じるがゆえに、主の栄光を現すために選ばれた者たちが、地の塩の務めをすることになったのです。私たち信仰者が、地の塩の務めをすることが出来るのは、この主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりを受けているから、地の塩になれるというのです。
塩の意味として、まず純潔さを表しています。
2017年04月12日 11:44
聖書 ルカによる福音書24章1-12節
イエスの復活の記事は、4つの福音書に書かれていますが、その内容はそれぞれに違いがあります。その中で共通していることは、主イエスが復活になった事実に出会った最初の人は、女性であったということです。
女性たちがキリストの体に香油を塗るためにお墓に来たのは、夜明け前のことです。お墓の入り口で彼女たちが見たものは、入り口の石が転がされて、お墓の中が見えたというのです。そして、中を見ると、そこにはキリストの体はありませんでした。
4節「そのために途方に暮れている」と記されているように、女性たちは何が起こったのか理解できませんでした。そこに二人の天使が「なぜ、
2017年04月06日 06:10
聖書 ルカによる福音書23章13-25節
イエスの生涯で、その最後の一週間を受難週と呼んでいます。私たちの教会では、明日の10日(月)から15日(土)まで夕方6時から祈祷会を持ちます。その一週間の一日一日キリストの苦難を思い返していきます。
特に木曜日に行われたイエスの審判から、十字架の決定に至るまでの経過は、4つの福音書では非常に詳しく記しています。イエスの生涯を通していかに重要なものであるかを示しているからです。
主イエスの裁判において、なぜイエスは十字架にかからなければならないのか。これらのことは私どもの救いのためだと教わっているところです。
このイエスの十字架の死は、私たちは
2017年03月31日 06:33
聖書 エフェソの信徒への手紙4章25-32節
<中心聖句>
4:32
「神がキリストによって
あなたがたを赦してくださったように赦し合いなさい。」
今日から教会は2017年度の新しい年度が始まります。
その年度を迎えるにあたり、先般、水元教会で教会標語と聖句を礼拝に出席された方々で投票によって決定しました。
「互いに赦し合いましょう」という標語で、聖書の箇所はエフェソの信徒への手紙4章32節「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように赦し合いなさい」という聖句からでした。
エフェソ書の4章25節からは私どもの信仰を持っている者の具体的な生き方が記されています。
2017年03月24日 21:18
聖書 マタイによる福音書5章10-12節
<中心聖句>
5章10節
「義のために迫害される人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。」
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