2016年12月15日 07:05
聖書 ルカによる福音書1章26-36節
<中心聖句>
1:28
「おめでとう。恵まれた方。
主があなたと共におられる。」
今朝のテキストに「恵み」という言葉が二度繰り返されて出てきます。28節「おめでとう、恵まれた方」という呼びかけと、30節「あなたは神から恵みをいただいた」という言葉です。この待降節にあって私ども人間にとってなにが重要であるか。それは人間に恵みがやって来るということを、待降節のメッセージとして語っているのです。
主イエスが来るということは、恵みがやって来るということです。この恵みを受け取るというのは、私どもの生活で、試練がなくなり、悩みもなくなるとい
2016年12月11日 06:11
聖書 詩編42編1-6節
詩編42編の詩というのはある民族が苦しんでいる場合に、その民族のことを歌った詩だという人もいますが、この詩はある個人のいわうる信仰経験、人生経験、個人の苦悩の中で、個人が神にどのように対応していかなければならないか、あるいはどのように対応したかということが、記されています。
ある意味ではこの詩は個人的な詩であると言えるのです。悩んでいる人にとって、この詩編42編は非常に大きな力を与える、そういう詩です。昔からこの詩によってどれだけ多くの人々が絶望の中の淵に立って失いかけた信仰を回復した、真の詩であるという詩です。そして、この42編は敬虔な心の自らの指摘であると、こ
2016年12月04日 20:12
聖書 詩編90編1-17節
今朝はアドベント第2週を迎えます。キリストがわたしのために、この世においでになったということを、心に静かに覚えながら、主の降誕を迎える準備の時としていきたいと思います。詩編90編は個人的な詩編ですが、人間の生きるということと死ぬということ、そこに関わりをもつ最も厳しい問題をこの詩編は記しています。
1節「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」という言葉をもって、私どもが悩む時、その悩みを訴えていくことのできる方は、それは神が「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」、あなたは私たちの住まいですと神との関わりの中に入っていくのです。2節「世よとこしえに」
2016年11月28日 11:26
聖書 ルカによる福音書15章11-24節
降誕前題4主日礼拝(アドベントの第一目)は、富士見聖書教会牧師の町田俊之先生の特別講演会でした。
放蕩息子のたとえ話をレンブラントの生涯と絵画を通して分かりやすくはお話をしていただきました。
1603年にオランダで生まれたレンブラントは、63歳の生涯で多くの自画像を描いています。20代の自我同は暗く自信のない顔であったが、34歳の自画像は自信に満ちた顔です。それは、自分の作品が非常に高く評価されてb莫大な財産を得ることが出来た時です。その後、オランダの景気が後退し、40代には収入が減少、仕事もなくなり、50代で破産宣告、自分の得た建
2016年11月25日 11:55
聖書 申命記24章19-22節
畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取に戻ってはならない。
それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。
こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。
オリーブの実を打ち落とすときは、後で枝をくまなく捜してはならない。
それは、寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。
ぶどうの取入れをするときには、後で摘み尽くしてはならない。
それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。
あなたは、エジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。
わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。」
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2016年11月18日 13:35
聖書 マルコによる福音書5章1-20節
<中心聖句>
「自分の家に帰りなさい。 そして身内の人に、
主があなたを哀れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
今朝は、藤垣昭雄牧師は金町教会での奉仕のため、水元教会の礼拝は斉藤宏牧師による宣教
です。
齋藤先生は現在、87歳です。はっきりと力強く御言葉を語ってくださり、一人一人の心に深く突き
さすものがあったと思います。齋藤先生、本当にありがとうございました。
2016年11月06日 08:55
聖書 フィリピの信徒への手紙1章15から26節
<中心聖句>
1:21
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、
死ぬことは利益なのです。」
今朝は、先に召された信仰の先達である諸兄姉を記念して礼拝をしています。特に今日はそのご家族も出席されています。永眠者礼拝は故人の写真をおいて、先に召された人々の生前を思い、彼らをそのように生かした神に賛美を捧げています。
今朝のテキストは、パウロがこのフィリピの手紙を書いた場所がエフェソであるとか、ローマであるとかの議論がありますが、大体の学者がローマでこのフィリピ書を書いたと言っています。
パ
2016年10月30日 14:49
聖書 エフェソの信徒への手紙6章10-16節
≪中心聖句>
6:15
「なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく
消すことができるのです。」
今日のテキストでは、パウロはエフェソの教会の信徒に、「悪と戦え」と、最後になって、信仰が戦いであると言っています。パウロは信仰生活を語るとき、終わりにはこれを言わなければならない、ということなのです。
信仰生活はキリストを主と仰ぐ生活です。しかし、それがそうではないという声は、私どもの外からも内からも迫ってきます。神に反するすべての力と戦ってこ
2016年10月23日 17:24
ルカによる福音書24章13-32節
<中心聖句>
24:32
「二人は、『道で話しておられるとき、
また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」
今朝のテキストには、あの有名なエマオの途上のキリストのことが記されています。十字架にかけられて死んだキリストは安息日1日は墓の中に休まれました。そして、翌日の朝キリストがよみがえったといううわさが町中に語られたのです。しかし、気落ちした二人は、沈んでいく夕日に向かって歩いていました。信頼し期待していたキリストの死に直面し、愛していた存在
2016年10月16日 15:28
聖書 ルカによる福音書17章11-19節
<中心聖句>
17:17
「清くされたのは十人ではなかったか。
ほかの九人はどこにいるのか。」
今朝のテキストは「重い皮膚病を患っている10人の人をいやす」という記事です。
10人が「イエスさま、どうかわたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは「祭司のところへ行って、体を見せなさい」と言われた。彼らが祭司のところへ向かったが途中で清くされた。すると10人のうちの1人が、大声で神を賛美しながら戻って来た。この人はサマリア人だった。「イエスは清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに神を