2016年06月13日 10:04
聖書 マタイによる福音書18章10-14節
<中心聖句>
18章10節
「これらの小さな者を
一人でも軽んじないように気をつけなさい。」
イスラエルの民は羊や馬や牛などの家畜の群れと共に、水や牧草を求めて移動する人として暮らしていました。ですから、羊とか羊飼いは日常的な身近な存在でした。羊は柔和で素直で、従順な動物のように見えますが、実際にはなかなか言うことを聞かず、しばしば群れからはずれてしまうことがあるようです。ですから、羊飼いは絶えず目を光らせていなければならなかったようです。
12節「あ
2016年06月06日 06:29
聖書 エフェソの信徒への手紙4章11-13節
<中心聖句>
14章11節
「ある人を使徒、
ある人を預言者、
ある人を福音宣教者、
ある人を牧者、教師とされたのです。」
教会のはじめを語るのに、いきなり使徒、預言者、福音宣教者、牧師、教師というような教会で働く人の役目が記されていることは、ある人にはわかりづらいかもしれません。
なぜなら、教会はペンテコステにおいて、聖霊を与えられたところから誕生した、と言われているからです。
それでは、聖霊によっ
2016年05月30日 10:07
聖書 ヨハネによる福音書21章1-14節
<中心聖句>
21章14節
「イエスが死者の中から復活した後、
弟子たちに現れたのは、
これでもう三度目である。」
この前の章の20章19節では、イエスの弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分のいる家の戸に鍵をかけていたと記されています。
そこに復活のイエスが現れ「あなたがたに平和があるように」と祝福されました。しかし、トマスはそこにいなかった。それで20章25節「トマスは言った。あの方の手に釘の跡を見、この手をそのわき腹にいれてみなければ、わたしは決して信じない」と言い張り
2016年05月23日 10:02
聖書 エフェソの信徒への手紙6章1-4節
<中心聖句>
6章4節
「父親たち、子供を怒らせてはなりません。
主がしつけ諭されるように、育てなさい。」
今朝、読んでいただきましたエフェソの信徒への手紙6章1節~2節には「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です。」とあります。
これは、旧約聖書の十戒の第5の戒めを引用しています。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう。」というのです。
 
2016年05月16日 17:37
聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝
聖書 使徒言行録2章1-4節
<中心聖句>
2章4節
「一同は聖霊に満たされ、
霊が語らせるままに、
他の国々の言葉で話し出した。」
...
2016年05月09日 10:32
母の日 合同礼拝
聖書 マタイによる福音書 25章31-40節
<中心聖句>
25章40節
「はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。」
五月の第二日曜日は「母の日」です。
これは、アメリカのある教会学校の教師をされていたお母さんが亡くなり、その教え子たちがカーネーションの花を持ち寄って記念集会を持ったことから始まりました。
そこに集まった人々は天に召された母を思い起こすと同時に、自分たちの母のことを考え合いました。
やがて、この日は世
2016年05月01日 21:42
聖書 ルカによる福音書 17章5-6節
<中心聖句>
17章6節
「主は言われた。
『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
この桑の木に、抜け出して海に根をおろせ』
と言っても、言うことを聞くであろう。」
弟子たちは「わたしどもの信仰を増してください」とキリストに懇願しています。
しかし、この弟子たちの願いに対して、キリストは信仰を増す方法を示さず、またこれを増す約束もされませんでした。
そして、自分たちは信仰をもって歩んでいるとうぬぼれ、その自らの信仰がまだ深いところまで至っていないと考えている弟
2016年04月24日 17:10
聖書 創世記2章18-25節
<中心聖句>
2章23節
「ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
それをこそ、女と呼ぼう。まさに、男から取られたのだから。」
男とは、ヘブライ語の「イッシュ」であり、女は「イッシャー」です。
「イッシュ」(男)から取ったのだから「イッシャー」(女)と呼ぶというのです。
「イッシュ」(男)とは、もともと「勇気ある者」「力に満ちた者」何があっても「微動だにしない」ものといういみがあり、いかにも男らしい、勇気に満ちた者のことです。「イッシャー」(女)とは「慰めるもの」の意味であると言われますが、この
2016年04月18日 16:43
聖書 ヨハネの手紙第一 4章10節
<中心聖句>
ヨハネの手紙第一4章10節
「わたしたちが神を愛したのでなく、神がわたしたちを愛して、
わたしたちの罪の償いのいけにえとして、御子をお遣わしになりました。
ここに、愛があります。」
2016年度の水元教会の標語として、その中心聖句となる御言葉を教会員の皆さんから募集しました。
その中から3月の定例役員会で役員の方々によって決定した聖句が、このヨハネの手紙第一4章10節です。
新しいスタートに大変ふさわしい御言葉であると思います。
この聖句より2016年度の教会標語を「神の愛が満ちる
2016年04月12日 10:59
聖書 コロサイの信徒への手紙3章1-11節
<中心聖句>
3章2節
「上にあるものを心に留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」
昨年より、使徒信条について少しづつ学んでまいりまして、今朝、ご一緒に学ぶ使徒信条の言葉は、その最後になります。「永遠の命を信じる」という言葉です。
「永遠の命」とは何でしょうか。夜空にきらめく星は何光年、何億光年というかなたに存在しています。そこから光が地球に届くまでに何千年、何億年とかかるそうです。しかし、それが何億年であっても、それは有限の世界です。時間をどのように伸ばしても永遠にはなりません。永遠とは、時間