2015年10月18日 17:08
本日の宣教は、中村正俊神学生です。
中村神学生は65歳まで一般の会社で働き、その後、神学校に入学しました。
現在、日本聖書神学校の3年生です。
聖書 詩編90編1-6節
ルカによる福音書15章11-24節
<中心聖句>
詩編90:3
「あなたは人を塵に返し『人の子よ、帰れ』と仰せになります。」
神学校の寮に入って、なかなか馴染めない頃、寮で朝祷会をすることになり
聖書のみ言葉により生活のリズムをつかむことが出来た。今、詩編を読んでいる。
神のみ言葉は創世記1章に記されているように、神が「光あれ」と言われると
「光
2015年10月13日 05:59
聖書 エフェソの信徒への手紙4章1~16節
<中心聖句>
4章7節
「しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物の
はかりに従って、恵みがあたえられています。」
今朝は、使徒信条から「公同の教会を信じる」とはどういうことか。という
ことを学んでいきたいと思います。
エフェソ4:5には「主は一つ、洗礼は一つ・・・」とあります。
この世を超越し、摂理をもって一切のものを導いておられる一人の神を信頼し
神に一切をゆだねて生きていく。この一人の神の前に立って御言葉を聞いていく。
そこに一致ということが満ち溢れて
2015年10月05日 09:21
聖書 エフェソへの信徒への手紙4章12-16節
<中心聖句>
16節 「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによって
しっかり組み合わされて、結び合わされて、おのおの部分は
分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって
造り上げられてゆくのです。」
水元教会は創立21年周年を迎えました。
この21年という歴史があって今日があります。私たちは、今日、教会堂に立つ者
とされることを感謝しつつ、なお自己検証を怠らず、未来に向かって、新しい
2015年09月20日 22:34
聖書 ヨブ記40章1-5節
エフェソの信徒への手紙6章10-16節
<中心聖句>
エフェソの信徒への手紙6章10節
「悪魔の策略に対抗して
立つことができるように
神の武具を身に着けなさい。」
しばらくヨブ記を学んできましたが、今日はヨブ記の終盤に入ります。
ヨブの苦難に対して、ヨブが訴え三人の友人が神を弁護するかたちで議論が
続きましたが、そんな応酬が三回重ねられたところで、最後の山場がやってき
ます。
ヨブ記の29章から30章にかけて、長いヨブの弁明があります。
2015年09月13日 18:52
聖書 ヨハネによる福音書14章15-17節
<中心聖句>
14章16節
「わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、永遠に
あなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」
わたしは、キリスト者は一人一人の信仰の個性があると思っています。
それぞれが環境が違う中で信仰は個性的です。わたしは人との出会いの中で
「ああ、この人は神様に愛されているのだな、と思う」ことが多くあります。
「心の清い人たちは幸いである、彼らは神を見るであろう」というように、
聖霊に導かれて、熱心に信仰してこられた方に出会う時に、神様が
2015年09月06日 19:27
聖書 マタイによる福音書24章15~31節
<中心聖句>
24章29節
「その苦難の日々、たちまち太陽は暗くなり、
月は光を放たず、星は空から落ち
天体は揺り動かされる。」
終末の時とは、聖書はどのように言っているのでしょうか。
15節に記されているように、旧約聖書のダニエル書には、世の終わりに
登場してくる神からの救いをもたらす者を「人の子」と呼んでいます。
「そのとき、人の子のしるしが天に現れる」という言葉は、文字通り天を
仰いでいると、人の子のしるしがある。天
2015年08月30日 20:01
聖書 使徒言行録2章29~36節
<中心聖句>
2章34節
「主は、わたしの主にお告げになった。わたしの右の座に着け。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」
今朝は、私たちが使徒信条告白をしました「全能の父なる神の右に坐したまえり」
という言葉を学んでいきたいと思います。
「主イエスはどこにいて、何をしておられるか」という問いに対して、使徒言行録
は「全能の父なる神の右に座っておられる」と言っています。
この「父なる神の右」というのは確かに明らかに一つの場所を示す言葉です。場所を
示
2015年08月24日 09:04
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章12~28節
<中心聖句>
15章7節
「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」
今日は、いままで何回か学んできています使徒信条から、
「三日目に死人のうちよりよみがえり」というところを学んでいきたいと思います。
実は、イエスの復活が信じられなかったのは、現代人だけではなくて、古代ユダヤの
人々にとっても同様でした。マルコ福音書16章には、イエスの弟子たちさえ、マグダラ
のマリヤから
2015年08月17日 13:45
聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章13~14節
<中心聖句>
5章14節
「隣人を自分のように愛しなさい。」
70年前に、日本は戦争をしない国として平和憲法を与えられました。私たちはこれからも
戦争をしない国としてこの平和憲法を守り抜くべきと思います。また、戦後与えられたものの
うち、最もすばらしいものは「自由」ではないかと思います。
それでは私たちは本当に「自由」を享受しているでしょうか。
今、こういう時代に生きる私たちが「本当の自由とは何であるか」を、今朝はガラテヤ書から
学んでいきたいと思います。人間は、神によって創造
2015年08月09日 19:04
聖書 ルカによる福音書15章11~32節
<中心聖句>
15章20節
「そして、彼はそこをたち、父親のものに行った。ところが、
まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、
憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」
これは、「放蕩息子」の話として、聖書の中でも大変有名な物語です。
この物語の中に、第一に人間の不安という問題を見ることが出来ます。
今日の人は、遊ぶことに事欠かないし、一面においては経済的には富み、あらゆる文
化を楽しむことが出来る世代に生きながら、しかし、心の中には