2015年11月10日 09:50
聖書 フィリピの信徒への手紙1章1-2節
<中心聖句>
1:1
「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから
惠と平和があなたがたにあるように。」
このフィリピの信徒への手紙は、エフェソ、コロサイ、フィレモンの書と共に
伝道者パウロが獄中から書いたものであります。このような状況の中でパウロは、
どれほど恵みと平和を祈ったことかと思わさざるを得ません。
「恵み」とは何でしょうか。それは何か良い行いによって与えられるものでは
なくて、自分には本来与えられるべきものでない者でありながら、与えられるの
2015年11月01日 19:44
聖書 詩編119編169‐176節
<中心聖句>
169節「主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。
御言葉をあるがままに理解させてください。」
今朝は、先に召された信仰の先龍である兄弟姉妹の足跡を記念しつつ、また
そのご家族もご一緒に礼拝を守りたいと思います。
詩編119編は詩編の中で一番長い詩であります。ヘブライ語のアルファベット
の数に従って「アレフ」から始まって「タウ」まで22区分され、それが8節づつ
あります。その8節づつが各々その属する同じアルファべってで始まっている。
最初に発見され
2015年10月26日 07:02
聖書 コヘレトの言葉12章1-14節
<中心聖句>
12章1節
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」
この聖書の言葉は、若い人たちに伝える福音のメッセージの中で繰り返されて
きた言葉ではないでしょうか。
青春は再びやって来ない。その若い時に「お前の創造主に心を留めよ」と勧め
ています。なぜなら、すべての人が「老いていく」からです。
このコレヘトの書が書かれた時代背景は、紀元前3世紀の末期、ユダヤはシリア
とエジプトの間にあって、公には自分の思うことも自由に言えないという社会情勢
でした。かつてのダビデやソロモンの時代の
2015年10月18日 17:08
本日の宣教は、中村正俊神学生です。
中村神学生は65歳まで一般の会社で働き、その後、神学校に入学しました。
現在、日本聖書神学校の3年生です。
聖書 詩編90編1-6節
ルカによる福音書15章11-24節
<中心聖句>
詩編90:3
「あなたは人を塵に返し『人の子よ、帰れ』と仰せになります。」
神学校の寮に入って、なかなか馴染めない頃、寮で朝祷会をすることになり
聖書のみ言葉により生活のリズムをつかむことが出来た。今、詩編を読んでいる。
神のみ言葉は創世記1章に記されているように、神が「光あれ」と言われると
「光
2015年10月13日 05:59
聖書 エフェソの信徒への手紙4章1~16節
<中心聖句>
4章7節
「しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物の
はかりに従って、恵みがあたえられています。」
今朝は、使徒信条から「公同の教会を信じる」とはどういうことか。という
ことを学んでいきたいと思います。
エフェソ4:5には「主は一つ、洗礼は一つ・・・」とあります。
この世を超越し、摂理をもって一切のものを導いておられる一人の神を信頼し
神に一切をゆだねて生きていく。この一人の神の前に立って御言葉を聞いていく。
そこに一致ということが満ち溢れて
2015年10月05日 09:21
聖書 エフェソへの信徒への手紙4章12-16節
<中心聖句>
16節 「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによって
しっかり組み合わされて、結び合わされて、おのおの部分は
分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって
造り上げられてゆくのです。」
水元教会は創立21年周年を迎えました。
この21年という歴史があって今日があります。私たちは、今日、教会堂に立つ者
とされることを感謝しつつ、なお自己検証を怠らず、未来に向かって、新しい
2015年09月20日 22:34
聖書 ヨブ記40章1-5節
エフェソの信徒への手紙6章10-16節
<中心聖句>
エフェソの信徒への手紙6章10節
「悪魔の策略に対抗して
立つことができるように
神の武具を身に着けなさい。」
しばらくヨブ記を学んできましたが、今日はヨブ記の終盤に入ります。
ヨブの苦難に対して、ヨブが訴え三人の友人が神を弁護するかたちで議論が
続きましたが、そんな応酬が三回重ねられたところで、最後の山場がやってき
ます。
ヨブ記の29章から30章にかけて、長いヨブの弁明があります。
2015年09月13日 18:52
聖書 ヨハネによる福音書14章15-17節
<中心聖句>
14章16節
「わたしは父にお願いしよう。
父は別の弁護者を遣わして、永遠に
あなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」
わたしは、キリスト者は一人一人の信仰の個性があると思っています。
それぞれが環境が違う中で信仰は個性的です。わたしは人との出会いの中で
「ああ、この人は神様に愛されているのだな、と思う」ことが多くあります。
「心の清い人たちは幸いである、彼らは神を見るであろう」というように、
聖霊に導かれて、熱心に信仰してこられた方に出会う時に、神様が
2015年09月06日 19:27
聖書 マタイによる福音書24章15~31節
<中心聖句>
24章29節
「その苦難の日々、たちまち太陽は暗くなり、
月は光を放たず、星は空から落ち
天体は揺り動かされる。」
終末の時とは、聖書はどのように言っているのでしょうか。
15節に記されているように、旧約聖書のダニエル書には、世の終わりに
登場してくる神からの救いをもたらす者を「人の子」と呼んでいます。
「そのとき、人の子のしるしが天に現れる」という言葉は、文字通り天を
仰いでいると、人の子のしるしがある。天
2015年08月30日 20:01
聖書 使徒言行録2章29~36節
<中心聖句>
2章34節
「主は、わたしの主にお告げになった。わたしの右の座に着け。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」
今朝は、私たちが使徒信条告白をしました「全能の父なる神の右に坐したまえり」
という言葉を学んでいきたいと思います。
「主イエスはどこにいて、何をしておられるか」という問いに対して、使徒言行録
は「全能の父なる神の右に座っておられる」と言っています。
この「父なる神の右」というのは確かに明らかに一つの場所を示す言葉です。場所を
示