2015年08月02日 23:19
聖書 マタイによる福音書13章24-30節
<中心聖句>
13章30節
「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」
教会を訪ねて一生懸命に道を求めて、やがて洗礼を受けた人が、最初の頃は教会に
喜びを見いだし、ああ、教会は素晴らしいところと思いこんでいる。しかし、やがて
「なんだ教会もまた世間と同じだ」と思うようになることがあります。
教会の中にも、つまずかせるものがあります。どうも気になる存在、異物が気になる。
自分を妨げているものに、いつも苛立っている自分がいる。
しかし、主イエスは「毒麦をそのままにし
2015年07月26日 20:23
聖書 ヨブ記13章1-19節
<中心聖句>
13章15節(文語訳)
「彼われを殺すとも我は彼に依頼まん。
惟われは吾道を彼の前に明らかにせんとす。」
今朝の中心聖句は文語訳で記しています。それは、新共同訳より文語訳の方が
より、この中心聖句の意味がお伝えできるように思ったからです。
ヨブ記は42章までありますが、その中に神は、始めは1~2章と、終わりは38
~42章でしか語っていません。ヨブ記の3章から37章まで、神は一言も語っては
いません。神の沈黙が続いています。
この神の沈黙の
2015年07月19日 16:36
聖書 ヨハネによる福音書19章1-16節
<中心聖句>
19章5節
ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。
13節に「裁判の席についた」と書き記されているように、主イエスの
死刑判決の時、裁判官の席についたのはピラトです。
ここで、ピラトは少なくとも二つの罪を犯しています。
一つは、彼は人々の前に、キリストを指して「見よ、この男だ」と叫ん
でいるが、ピラトは本当にキリストを見ていなかったということです。
キリストの姿に触れた時、彼の地位も、名声も、彼の権力も、はるかにおよ
ばないものを
2015年07月12日 20:34
聖書 ヨハネによる福音書12章20-26節
<中心聖句>
12章24節
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
一粒の麦・主イエス・キリストが死んでくださったから、私どもは信仰を
言い表すことができたのです。
イエスは、他の福音書の中でもよく麦について語っておられます。
ナザレの村の周りには麦畑があって、イエスは麦畑に親しんでおられたのか
もしれません。
麦が耕された土の中に落ちていく。姿を隠してしまう。その種は見えなく
なって
2015年07月05日 17:49
聖書 マルコによる福音書1章35~39節
<中心聖句>
1章35節
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて
人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」
この前の箇所を読んでみますと、イエス様が多くの病人をいやされた記事が
あります。そこで、もっと癒してほしいと願う人々が、弟子たちのもとを訪れ
ます。弟子たちはイエスに「みんなが探しています」と言った。するとイエス
は「近くのほかの町や村に行こう。そこでもわたしは宣教する。そのためにわ
たしは出て来たのである。」と答えられました。
イエス様の息もつけない
2015年06月29日 14:04
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章1-10節
<中心聖句>
12章9節
すると、主は
「わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」
と、言われました。
奴隷船の船長であった、ジョン・ニュートンは難破した船から奇跡的に助けられ、
その後、牧師になった人であり、彼の生涯は驚くべき神からの恵みを受けて変身し
ました。そのジョン・ニュートンが作曲したのが「アメージング・グレース」です。
1773年1月1日、イギリスのロンドンの郊外の教会で歌われました。現在では、
2015年06月22日 16:57
聖書 マルコによる福音書9章14~29節
<中心聖句>
9章24節
その子の父親はすぐに叫んだ。
「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
病を持った子どもを抱えた父親が、藁にもすがる思いでイエスを訪ねてきました。
しかし、その時、そこにイエスはおられなかった。
弟子たちが、その子の病を癒そうと試みたが癒されなかった。この様子に律法学者が
どこからともなく現れて、イエスの名の無力さを取り立てて議論をしていたのです。
そこにイエスが来られた。
群衆の中のある者
2015年06月14日 20:07
聖書 エフェソの信徒への手紙 第6章1-4節
<中心聖句>
6月の第二日曜日は、教会では「子どもの日・花の日」礼拝です。
小さな花を育てて下さる神様は、この花よりもっと私たち人間を大切にして
くださっています。
「子共の日・花の日」は子供を祝福する日です。
旧約聖書の出エジプト記20章に十戒が記されています。
十戒の第1~第4までの戒めは、神についての戒めです。
第5~第10までの六つの戒めは、人間についての戒めです。
この第5番目の「あなたの父と母を敬え」という戒めは、人との戒めとしては
一番最初の戒めであ
2015年06月07日 19:44
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章18~25節
<本日の中心聖句>
1章18節
「十字架の言葉は、
滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。」
十字架の言葉とは、キリストの福音です。
「ある人には愚かなものだ、馬鹿らしいことだ」と書いてあります。しかし、ある人には
これは「神の力」だと言います。
「神の言葉」は、ダイナマイトのようなものです。小さなダイナマイトが大きな岩石の中
に入れ、導火線とつけておきます。発火点に達すると、大きな岩
2015年05月31日 20:20
聖書 ヨハネによる福音書15章1-6節
<中心聖句>
15章5節
「人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。」
今、わたしたちは変化の激しい時代に生きています。
何が正しいのか、何が確かなのか、わからないような時代です。
皆、そういう時代だからこそ、自分はしっかりと生きていきたいと思うのです。
しかし、現実は迷いの道です。生きる基準が見つからないのです。
「神を信じる人には神がいるが、信じない人にはいない。」そんなことを言う