2015年06月14日 20:07
聖書 エフェソの信徒への手紙 第6章1-4節
<中心聖句>
6月の第二日曜日は、教会では「子どもの日・花の日」礼拝です。
小さな花を育てて下さる神様は、この花よりもっと私たち人間を大切にして
くださっています。
「子共の日・花の日」は子供を祝福する日です。
旧約聖書の出エジプト記20章に十戒が記されています。
十戒の第1~第4までの戒めは、神についての戒めです。
第5~第10までの六つの戒めは、人間についての戒めです。
この第5番目の「あなたの父と母を敬え」という戒めは、人との戒めとしては
一番最初の戒めであ
2015年06月07日 19:44
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章18~25節
<本日の中心聖句>
1章18節
「十字架の言葉は、
滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。」
十字架の言葉とは、キリストの福音です。
「ある人には愚かなものだ、馬鹿らしいことだ」と書いてあります。しかし、ある人には
これは「神の力」だと言います。
「神の言葉」は、ダイナマイトのようなものです。小さなダイナマイトが大きな岩石の中
に入れ、導火線とつけておきます。発火点に達すると、大きな岩
2015年05月31日 20:20
聖書 ヨハネによる福音書15章1-6節
<中心聖句>
15章5節
「人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。」
今、わたしたちは変化の激しい時代に生きています。
何が正しいのか、何が確かなのか、わからないような時代です。
皆、そういう時代だからこそ、自分はしっかりと生きていきたいと思うのです。
しかし、現実は迷いの道です。生きる基準が見つからないのです。
「神を信じる人には神がいるが、信じない人にはいない。」そんなことを言う
2015年05月25日 12:51
聖書 ヨハネによる福音書16章7-15節
<中心聖句>
16章13節
「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて
真理をことごとく悟らせる。」
今朝は、聖霊降臨日(ペンテコステ)です。
ペンテコステとはギリシャ語ですが、意味は「50」です。キリストの復活日から
50日目という意味になります。
キリストが十字架にかかり、三日目に復活して40日の間、この地上においでにな
った時、弟子たちに色々な言葉を残されて、昇天をされました。
キリストが昇天される時、弟子たちに
「あなたがたはこ
2015年05月17日 16:46
聖書 マタイによる福音書25章14-30節
<中心聖句>
25章21節
「忠実な良い僕だ。よくやった。
お前は少しのものに忠実であったから、
多くにものを管理させよう。
主人と一緒に喜んでくれ。」
人は自分の出発点を、自分の意志で選ぶことは出来ません。
日本人であることも、男か女であることも、生きる時代や場所も自分で選んだわけでは
ありません。
しかし、わたしたちは与えられた出発点から、どのように生きる道を選び取るかという
ことは、与えられているのです。で
2015年05月11日 08:48
聖書 マルコによる福音書7章24-30節
<中心聖句>
7章28節
「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、
子どものパン屑はいただきます。」
五月の第二日曜は母の日です。
1908年アメリカのウエストバージニア州のある教会で、教会学校の教師をしていた母親が
亡くなりました。
教え子たちが、白いカーネーションの花を持ち寄って母を中心にした記念集会を持ちました。
そこに集まった人々は天に召された母を思い起こすと同時に、自分たちの母のことを考え合っ
たのです。それが全米的な行事となって行ったそうです。
2015年05月04日 08:07
聖書 ルカによる福音書 1章26-38節
<中心聖句>
1章38節
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身に成りますように。」
第一週の主日礼拝では、使徒信条を学んでおります。
今月は、「聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ」ということについて
ルカによる福音書から学んでいきたいと思います。
日本語では「生まれる」という表現になっておりますが、原文は「マリアより
生み出された」、つまり受け身になっています。
ここでは、処女であったマリアから御子が生まれた、つまり処女マリアがイエス
の母にな
2015年04月27日 14:05
聖書 ヨブ記4章1-21節
<中心聖句>
4章17節
「人が神より正しくありえようか。
造り主より清くありえようか。」
私達が、苦しみや悲劇を乗り越えるために、神に目を向け、助けを求めることが大事です。
また、問うべきなのは
「どうして、この私に、こんなことが起こるのか? 私が一体何をしたというのか?」
というのでなく、私どもが問い掛ける問いとは、
「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろう?」
というものです。
自分の問題や、他人の問題を、誰かのせいにして解決することではなく、
2015年04月19日 17:37
聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節
<中心聖句>
16-18節
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。」
この聖句が、2015年度の水元教会の「教会標語」に決まりました。
この聖句の後には、
「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
とあります。そういう生活が大切であるということを、パウロは申しています。
聖書は、喜ぶことが出来る時だけ喜ぶと言うのではなく、私達は「いつも喜ぶ」ことが出来
ると言
2015年04月13日 09:03
聖書 ヨハネによる福音書13章36-38節
<中心聖句>
36節
シモン・ペトロがイエスに言った。
「主よ、どこに行かれるのですか、」
イエスが答えられた。
「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
後でついて来ることになる。」
「主よ、どこに行かれるのですか。」とペトロがイエスに問いました。
この問いを題名にした有名な本があります。ポーランドのノーベル賞作家シェンコヴィッチが書いた
...