2015年05月25日 12:51
聖書 ヨハネによる福音書16章7-15節
<中心聖句>
16章13節
「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて
真理をことごとく悟らせる。」
今朝は、聖霊降臨日(ペンテコステ)です。
ペンテコステとはギリシャ語ですが、意味は「50」です。キリストの復活日から
50日目という意味になります。
キリストが十字架にかかり、三日目に復活して40日の間、この地上においでにな
った時、弟子たちに色々な言葉を残されて、昇天をされました。
キリストが昇天される時、弟子たちに
「あなたがたはこ
2015年05月17日 16:46
聖書 マタイによる福音書25章14-30節
<中心聖句>
25章21節
「忠実な良い僕だ。よくやった。
お前は少しのものに忠実であったから、
多くにものを管理させよう。
主人と一緒に喜んでくれ。」
人は自分の出発点を、自分の意志で選ぶことは出来ません。
日本人であることも、男か女であることも、生きる時代や場所も自分で選んだわけでは
ありません。
しかし、わたしたちは与えられた出発点から、どのように生きる道を選び取るかという
ことは、与えられているのです。で
2015年05月11日 08:48
聖書 マルコによる福音書7章24-30節
<中心聖句>
7章28節
「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、
子どものパン屑はいただきます。」
五月の第二日曜は母の日です。
1908年アメリカのウエストバージニア州のある教会で、教会学校の教師をしていた母親が
亡くなりました。
教え子たちが、白いカーネーションの花を持ち寄って母を中心にした記念集会を持ちました。
そこに集まった人々は天に召された母を思い起こすと同時に、自分たちの母のことを考え合っ
たのです。それが全米的な行事となって行ったそうです。
2015年05月04日 08:07
聖書 ルカによる福音書 1章26-38節
<中心聖句>
1章38節
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身に成りますように。」
第一週の主日礼拝では、使徒信条を学んでおります。
今月は、「聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ」ということについて
ルカによる福音書から学んでいきたいと思います。
日本語では「生まれる」という表現になっておりますが、原文は「マリアより
生み出された」、つまり受け身になっています。
ここでは、処女であったマリアから御子が生まれた、つまり処女マリアがイエス
の母にな
2015年04月27日 14:05
聖書 ヨブ記4章1-21節
<中心聖句>
4章17節
「人が神より正しくありえようか。
造り主より清くありえようか。」
私達が、苦しみや悲劇を乗り越えるために、神に目を向け、助けを求めることが大事です。
また、問うべきなのは
「どうして、この私に、こんなことが起こるのか? 私が一体何をしたというのか?」
というのでなく、私どもが問い掛ける問いとは、
「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろう?」
というものです。
自分の問題や、他人の問題を、誰かのせいにして解決することではなく、
2015年04月19日 17:37
聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節
<中心聖句>
16-18節
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。」
この聖句が、2015年度の水元教会の「教会標語」に決まりました。
この聖句の後には、
「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
とあります。そういう生活が大切であるということを、パウロは申しています。
聖書は、喜ぶことが出来る時だけ喜ぶと言うのではなく、私達は「いつも喜ぶ」ことが出来
ると言
2015年04月13日 09:03
聖書 ヨハネによる福音書13章36-38節
<中心聖句>
36節
シモン・ペトロがイエスに言った。
「主よ、どこに行かれるのですか、」
イエスが答えられた。
「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
後でついて来ることになる。」
「主よ、どこに行かれるのですか。」とペトロがイエスに問いました。
この問いを題名にした有名な本があります。ポーランドのノーベル賞作家シェンコヴィッチが書いた
...
2015年04月07日 16:47
聖書 ヨハネの手紙 第一 4章7-10節
<中心聖句>
10節
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う
いけにえとして御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
イースターおめでとうございます。
人間が生きていくという上で、もっとも根本的な問題は、人間の罪と、人間の死です。
その罪と死に打ち勝っていく道は、キリストが十字架にかかって、我々の罪の贖いとなる
ということです。
キリストが死んで、葬られて、黄泉にくだって3日目に復活するという、このキリストの
2015年03月30日 08:11
聖書 ルカによる福音書23章20-25節
<中心聖句>
15節 「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」
イエスの生涯の中での最後の一週間は受難週として、私たちはキリストの苦難を想い返す
大切な時をとして過ごします。特に木曜日の夜に行われたイエスの審判から、十字架の決定
に至るまでの経過の記述は、それぞれの福音書は、実に詳細に記しています。
イエスの最終的審判者であった総督ピラトという人物は、自分がしなければならないことを
知りながら、いざという時にはそうすることの出来ない、いえあゆる現代人の代表的
2015年03月23日 07:29
聖書 ヨハネによる福音書13章21-30節
《中心聖句》
21節
「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」
21節~30節までの記事は、ユダの裏切りの話です。
主イエスが、ここで大変厳しい思いでユダの裏切りを見据えておられることに心を打たれます。
しかし、弟子たちは最後まで、ユダが裏切ることに気がついていません。
29節には「ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、『祭りに必要なものを買いなさい』とか、
貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた」と記されているのです。