2023年01月15日 06:09
聖書 ルカによる福音書20章1-8節
ここで権威ということが問われています。主イエスが神殿の境内で民衆に福音を告げておられました。民衆は夢中になってイエスの話に聞き入っていたのです。ところが、それが祭司長、律法学者たちには気に入らなかったのです。学者たちは、イエスに「何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」と問いました。主イエスの権威とは、悪魔の権力から人間を奪い返し、自由にする力を与える権威です。しかし、彼らは主イエスの権威を正しく理解することができません。祭司長や律法学者にとって自分たちが権威ある者であり、この主イエスの権威が明らかになると、それに腹を立てまし
2023年01月08日 05:43
聖書 ルカによる福音書19章41-48節
今朝の聖書の個所は、主イエスの受難週の最初の歩みを記しているところです。41節「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。」と。このイエスの涙は、いったい何のためであったのか。主イエスは涙を流しつつ、42節「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら。…しかし、今は、それがお前には見えない。」と言われました。このときエルサレムには過ぎ越し祭りを祝うために多くの人々が集まってきていました。その多くの人々に、平和を見る日を待ち望んで生きてほしいと。しかし今、このエルサレムの町から平和の賛美が聞こえなくなっていると
2023年01月01日 17:06
聖書 フィリピの信徒への手紙4章1-7節
新年あけましておめでとうございます。今年は元旦が主日礼拝となり感謝です。 さて、今朝の聖書箇所を読みますと、フィリピの教会にエホディアとシンティケという二人の婦人が、熱心な教会生活また伝道生活をしておられたのですが、この二人の間に一致がないということを、パウロは非常に心配しており、主にあって一つ思いになってほしいということを奨めています。それは具体的に二人の間に愛情が欠けていることを指摘しています。パウロは、教会の中で共にくびきを負うという生活が大切と言っています。4節に「主において、常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」様々な問題があっても、
2022年12月25日 17:17
聖書 マタイによる福音書2章1-12節
東から来た博士たちは、イエス・キリストの誕生の場所を探し求めてエルサレムにやって来ました。2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と書かれています。この「拝みに来たのです」ということが、11節にも「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み」と記されています。8節にはヘロデの言葉としてこの「わたしも行って拝もう」と語られています。東方からはるばる来た博士たちは母マリアと共に幼子に会い、彼らはひれ伏して拝み、その宝の箱から最上のものを捧げ
2022年12月14日 06:04
聖書 ヨハネによる福音書4章7-26節
イエスはユダヤからガリラヤへ行かれる途中、渇き、疲れ、思わずヤコブの井戸のほとりに腰をおろされました。時はまさに「正午」でした。暑い日盛りであったので周囲には人影も見えません。弟子たちはお昼の食事を整えるために町に出かけて行ったと記されています。そこへ一人のサマリアの女性が、人目を避けるように水を汲むためにシカルの井戸にやって来ました。なぜ、この女性は暑い真昼に人目を避けて井戸に水を汲みにやって来たのか。他の多くの女性には会いたくなかったからでしょう。この孤独な女性は見知らぬ人から「水を飲ませてください」と声をかけられた。こうしてイエスとサマリアの女の
2022年12月11日 17:16
聖書 イザヤ書60章19-22節
クリスマスとは、ベツレヘムにお生まれになったイエス・キリスト、その者を受け入れる、そのような時です。では、このキリストを信じると何が起こるのかというと、わたしたちは「変えられていく」のです。19節「主があなたのとこしえの光となり」と20節でも「主があなたの永遠の光となり」という言葉が出て来ます。わたしたちの心に刻みつけるように「主があなたのとこしえの光となり」と語られるのです。「光」という言葉は聖書ではいろいろな意味をもっていますが、その一つに「命」を象徴している場合があります。ですから19節、20節は「主は永遠にわたしの命となる」と言い換えることが出来ます
2022年12月03日 18:58
聖書 創世記1章1-5節 コロサイの信徒への手紙1章15-16節
宇宙の創造というのは、どのようにして出来たのでしょうか?他の惑星と違って、地球は青く宇宙の中でも非常に美しい珍しい惑星です。神は天地を創造されたのですが、創造の中で最後に神は御自分にかたどって人間を創造されたことが出て来ます。創造の中でも、人間が一番大切なものとして描かれています。主なる神は土の塵で人を形づくられていきます。何も役に立たないような土から人間が造られることに人間の価値、人間の命の尊さ、そういったものが見えて来ます。どんな人間でも、命があるし、一人一人には尊厳あることを、創造物語から考えることが出来ます。聖書に
2022年11月27日 06:42
聖書 ルカによる福音書19章28-40節
29節で、イエスが子ロバを必要としているので二人の弟子が使いに出されました。弟子たちにとって、驚くべき経験となったのは、34節の主の言葉を自分の口で伝えたことです。それは「主がお入り用なのです」という言葉です。二人の弟子は、そんなイエスの言葉通りに行くのだろうかと思っていたのではないでしょうか。そして主イエスの言葉通りに進んで行くことに、弟子たちは驚いたと思います。この不思議な体験は、弟子たちの存在の中に根を下ろしていったのではないでしょうか。私たちが人生を生きる時、最も大切なものは「イエスが私の主である」ということです。私たち自身がキリストのものと
2022年11月15日 04:51
聖書 ルカによる福音書19章11-27節
この主イエスのたとえ話は、主人が留守をするので10人の僕にそれぞれ「一ムナ」ずつを与えたというのです。主人の留守の間に働いた僕の話ですが、一ムナというのは現在のお金に換算すると100万円に相当するお金です。僕はその与えられたお金「一ムナ」を活かすか活かさないか心を働かせなければなりませんでした。問題は与えられた金額が多いか少ないかではなく、この僕たちの周囲の状況でした。12節で「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった」のです。ところが14節に「しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王に
2022年11月13日 05:37
聖書 ルカによる福音書19章1-10節
今朝のテキストは「ザアカイの物語」です。9節「イエスは言われた。『今日、救いがこの家に訪れた。』」と、このザアカイが主イエスを自分の家に迎えることが出来たいきさつを、ルカは書いています。ルカが、ザアカイという名を出して表現したことにより、この物語は教会ではよく知られ、愛されている物語の一つになりました。主イエスがザアカイの家に行ったことについて、7節「これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』」と書かれています。ザアカイは徴税人の頭でした。ローマ帝国の手先となってユダヤ人から税金を搾り取る仕事をし、その上、不正な取り