2019年04月23日 11:00
4月21日(日) イースター礼拝とイースターコンサート
礼拝は子どもの教会の礼拝と合同でした。
礼拝の宣教の前に、CSスタッフの鈴木マリ子さんから「絵本 十字架への道」の読み聞かせがありました。子どもの出席は無くて残念でしたが、きっと皆さん、ほんわかとした気持ちになったと思います。これからも、ぜひ合同礼拝ではCSスタッフのお話をお願いしたいと思いました。子どもたちの礼拝出席を祈りつつ・・・宣教(詳しくは宣教ミニノートを見てください)の後は、聖餐式に与りました。感謝です。
お昼ご飯は「ハヤシライス」。前日にマリア会(婦人会)の方々が用意をしてくださいました。美味しかったです(^^)/ 1
2019年04月16日 08:34
イースター(復活祭)の ご案内
2019年 イースター(復活祭)は 4月21日(日)です。
水元教会では以下のようにイースターの予定をしています。
どの集会にも、どなたでもご出席ください。
受難週祈祷会
4月15日(月)~ 4月20日(土)
朝 10時半~12時
イースターの準備とイースターエッグ作り
4月20日(土)午後1時半頃~
ゆで卵にイースターラップを貼り付けます。
だれでも簡単に、たのしく出来てしまいます!
イースタ-礼拝
4月21日(日)朝10時半~12時
大人・子ども一緒の礼拝です。
礼拝後、簡単な昼食を用意
2019年04月15日 07:52
聖書 ルカによる福音書24章1-12節
1節「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」と書いています。安息日の済んだ土曜日の明くる日の朝、日曜日のことです。夜明け前ですから、外は暗かったと思います。キリストの体に塗るための用意しておいた香油を持って、お墓に近づいて行きました。彼女が見たものは、墓の入り口にある石が転がされていること、お墓の中が見え、イエスの体はなかったということです。彼女たちは、4節「そのために途方に暮れていると」2人の天使が現れました。5節「あなたがたは、なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。あのかたはここにはおられない。復活なさったのだ
2019年04月09日 17:03
聖書 ルカによる福音書23章32-43節
キリストが亡くなられたエルサレムのカルバリの丘には、三つの十字架が立てられました。真ん中にキリストが掛けられ、両側には二人の犯罪人がかけられていたのです。一人の犯罪人は、39節「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしり続けました。もう一人の犯罪人には、一つの変化が現れて来ました。「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに、我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」と言いました。これは一体どういうことでしょうか?34節の「父よ、彼らをお許しください。自分が何をし
2019年04月02日 19:14
聖書 マタイによる福音書27章1-10節
1-3節に「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下さったのを知って後悔した」つまり、イエスが引き立てられる姿を見たときに、ユダは自分のしたことを後悔しました。ユダは自分のしたことがどんなに大変な事柄であったかという思いにいたったのです。ユダは、後悔すると「銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして」とあるように、彼は悔いた時に、すぐに形を表そうとしています。明らかにこの告白は、不正であった手口に対して、自
2019年03月27日 15:44
聖書 ヨハネによる福音書13章36-38節
ペトロの生涯を思うとき、信仰というのは非常に不思議なもの、本人の自覚を超えたものと言えます。信仰が続くか、または途中で無くなるかは、本人たちの気持ちや意志とかによるのではなくて、背後でイエス・キリストが執り成してくださっているからだと思います。37節「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」とペトロが覚悟しても、その強い決心や覚悟さえ、一夜の夢よりもはかないものだったのです。聖書には、イエスが捕らえられた時にペトロが三度もキリストを拒否したと記されています。しかし、ペトロは悔い改めてキリストのもとへ帰っていくのです。ペトロ
2019年03月18日 09:46
聖書 ヨハネによる福音書12章1-11節
この出来事は「過越しの祭りの6日前」すなわち、キリストが十字架にかかられる6日前ということです。ベタニアのラザロの家でマリアが高価で純粋なナルドの香油を持って来て、自分の髪の毛でイエスの足を拭いました。足というのはもっとも汚れたところで、その一番汚いところに、高価な油を振り自分の頭の髪の毛で拭ったのです。このマリアのキリストに対する態度は、言葉を持って表すことのできない愛と尊敬の表れです。4節でイスカリオテのユダは「なぜ、この油を300デナリオンに売って、貧しい人たちに施さなかったのか」と言いました。もったいない、貧しい人に施せば、どんなに喜ぶか分か
2019年03月12日 07:41
聖書マルコによる福音書1章14-15節
今朝の14-15節は、イエスがガリラヤにおいて伝道活動を始められたことを記すところです。イエスのガリラヤ伝道の中心になった言葉は、三つの言葉で言い表されています。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。このことは説教者も聖日ごとに語ることでもあります。「時は満ちた、古い時は過ぎた、新しい救いの時が来た、神の国は近づいた。だから、悔い改めて、この神が告げてくださっている福音、イエスが告げておられる喜びの言葉を信じましょう」と繰り返します。「時が満ちる」というのは、キリストがこの世においでになったということは、それは偶然ではありません。
2019年03月05日 12:36
聖書 マルコによる福音書1章29-39節
35節「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」と記されています。ということは、弟子たちが目を覚ましてみると、イエスはおられない。イエスは「人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」のです。この一人で人里離れて祈られる姿を思う時、思いついたときにだけ祈るのではなく、このようにして、イエスはいつも祈っておられていたのだと思います。自分の思いではなく神の御心を求め祈る姿です。人々の評判が高くあればあるほど、その中でイエスの闘いは深まったと思います。神への祈りの中で、イエスはご自分の使命をもう一度、見定められ
2019年02月27日 17:31
聖書 マタイによる福音書16章1-12節
1節に「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った」と記されています。二つの派がお互いの立場の相違を超えて、キリストを死に追いやるための共同戦線で、このような悪意に満ちた質問をしたのです。この問いに対してキリストは、2-3節「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることが出来ないのか」と答えられました。キリストは続いて、4節「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲