記事のアーカイブ

2018年07月03日 16:41

2018.7.8 宣教「賢い人と愚かな人」

聖書 マタイによる福音書10章16-23節  イエスはガリラヤで伝道を始められました。イエス自らが人々の具体的な生活の場で、神のことを話し、罪を悔い改めることを求められました。山の上であったり、ガリラヤの湖畔であったり、路上であったり、それぞれ人間が働き、懸命に生きているその現場で、イエスは人々に語りかけられたのでした。多くの村を訪ね、多くの人に出会われましたが、「収穫は多いが、働き手が少ない」のをごらんになって、12人の弟子を各地に遣わして、伝道することをお命じになりました。その派遣にあたり、弟子たちに語られた言葉がこの有名な勧めです。「あなたがたが遣わされていく場は、たとえれば、狼の群れの
2018年06月26日 17:53

2018.7.1 宣教「平和を告げる者」

聖書 マタイによる福音書10章1-15節  主イエスの伝道の生活は、決して一人で働いておられたのではありません。ここに12弟子を同志としてご自分のもとに集められ、この12人の弟子たちを、町や村に派遣をされて伝道をさせておられます。1節「汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒すためであった」と記されています。現代のわたしたちは使徒の使命を受け継ぐ者です。7-8節には、「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と命じられてい
2018年06月17日 21:23

2018.6.24 宣教「人生の苦難の意味」

聖書 ヨブ記1章1節ー22節  旧約聖書のヨブ記は、人間の苦しみとは何か、またその苦しみから逃れる道はどこにあるのかを教えており、苦難の問題を記した書として有名です。旧約では罰のない罪はありません。罪を犯した後には必ず罰が訪れるとされていました。しかし、ヨブ記の主題は理由なき苦難です。義人が苦しむのはなぜか。ヨブはユダヤ人ではありません。これは一般的な一人の人間の苦難としています。人生の苦難は予告なしにやってきます。ここで問われているのは、神が正しい方で、愛の方であるなら、どうしてこのようなことが起こるのか。悪いものが栄え、正しいものが嘆くという矛盾がなぜ起こるのかということです。やがて、ヨブ
2018年06月12日 07:47

2018.6.17 宣教「飼い主のいない羊」

聖書 マタイによる福音書9章27-38節  27節「イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、私たちを憐れんでください」と言いながらついて来た。」ここで「ダビデの子よ」とは、救い主を意味して、メシアの称号です。しかし、30節で「二人は目が見えるようになった。イエスは、『このことは、だれにも知らせてはいけない』と彼らに厳しくお命じになった。」当時、ユダヤの人々は救い主を待ち望んでいました。しかし、救い主であることが明らかになる場面で、イエスは「だれにも知らせてはいけない」と厳しくお命じになったのです。しかし、この二人の盲人は、出て行くや否や、主イエスのみわざを言い広め
2018年06月11日 08:44

子どもの日・花の日礼拝

お花がいっぱいの中で礼拝・・・そしてお見舞いに 日本では、一般に「子どもの日」と言えば5月5日ですが、キリスト教会では 6月の第2日曜を「子どもの日・花の日」と言います。これは、1856年から アメリカの教会で始まったそうです。 この礼拝は子ども達が健康に成長することだけではなく、生涯、神様に従い 人に仕えて生きる者となるように祈りを捧げるために行われたそうです。 また、その席にたくさんのお花が飾られたことから「花の日」とも呼ぶように なりました。 水元教会の会堂にもたくさんのお花が飾られました・・・ 礼拝は大人と子どもと一緒の合同礼拝です。
2018年06月06日 06:22

2018.6.10 宣教「イエスと共にある食卓」

聖書  マタイによる福音書9章14-17節、エレミヤ書31章31-34節  14節「そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った。」このヨハネというのは洗礼者ヨハネです。当時、信仰に熱心な人であれは、断食をして食を断つことをしました。何のためにするのかというと、神との契約が切れることを悲しんで断食がなされたと言われています。15節で主イエスは「『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しんむことができるだろうか』」という質問をされました。さらに15節の後半で「しかし、花婿が奪い取られる時が
2018年06月01日 08:49

近隣教会と一緒にお餅つき!

5月27日㈰ 午後から北千住教会でお餅つきをしました! 礼拝後、自家用車に分乗して水元教会から9名が参加しました。 北千住教会に到着すると、すでに一回目のもち米が蒸し終わり、まさに・・・ これからお餅つきが始まろうとしていました! さあ! 水元もお手伝いを!!!    水元のお餅つき名人2名(笑)も、即参加しました・・・・  つき始めていると堀切教会からも5名が到着!にぎやかです!    あんこ・きなこ・大根おろし・お雑煮の準備もOKでした!  それから、お餅は「草餅」もありです! スゴイ!    好きなものを器に入れてもらって、いただきま~す!
2018年05月29日 18:55

2018.6.3 宣教「キリストの瞳」

聖書 マタイによる福音書9章18-26節  今朝の聖書に出て来る女性は不幸な人でした。彼女の病歴は12年間という長い年月でした。「医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない」と聖書は記しています。医者に全財産を使い果たすほど、彼女は必死の思いであらん限りの医療を続けて12年が過ぎていきました。一切の身代を使い果たしてしまいました。彼女の不幸はそれだけではありません。女性の出血は不浄とみなされ、彼女のふれたすべてのものは汚れたものとみなされたのです。彼女は社会生活から追放され、誰とも交わりを否定されたのです。この惨めな一人の人間にとって、キリストが町に来られたということは、新しい時
2018年05月23日 06:20

2018.5.27 宣教「ダビデの賛美」

聖書 サムエル記下12章13-25節  19節「ダビデは家臣たちがささやきあっているのを見て、子が死んだと悟り、言った。『あの子は死んだのか』彼らは答えた。『お亡くなりになりました』と、その子が死んだという情況が、繰り返し記されています。ダビデはウリヤの殺害という過去に取り返しのつかない罪を犯しました。、その罰を、今度は何の罪のない子どもの死によって償いがなされることになったというのです。当然死んでいった子供が未解決の問題として残ります。  私たちは、取り返しのつかないことを、どうしたら取り返すことができるでしょうか?新約聖書の最初にマタイ福音書1章1節からイエス・キリストの系図が記
2018年05月21日 08:46

ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝

5月20日(日)はペンテコステ礼拝でした。  キリスト教の三大祝日の一つ聖霊降臨日(ペンテコステ)    礼拝の宣教は使徒言行録2章1節から4節。  大人と子ども一緒の合同礼拝なので宣教の前に、  まずCSスタッフから子どもへのメッセージがありました。  とーても優しく分かりやすい絵本の読み聞かせです。    絵本の読み聞かせは、4年前のペンテコステ礼拝で受洗したMさん。  読むだけではなくて、自分の言葉で子供たちにも分かりやすいお話でした。  ただ・・・子どもの出席はゼロちょっと残念でした。でも!  絵本の読み聞かせが終わると、皆さんから思わず拍手が(笑)   和やかな素敵なペンテコステ礼拝

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