2024年11月14日 04:31
ヨハネによる福音書8章31-38節
32節に「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」とあります。ユダヤ人たちはこのイエスの言葉を聞いて、自分たちは自由だと思ったかもしれませんが、現実は罪の奴隷でした。何の奴隷かと言うと、彼らの信仰の伝統であり、慣習であり、長年身についた考え方でした。彼らはそこから解放されることを受け入れません。これはわたしたちもまたそのことを問われているのではないでしょうか?そこで、主イエスは御自分を信じたユダヤ人たちに言われました。31節「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」と言われました。「わたしの言葉」とは、わたしの言葉の
2024年11月05日 04:48
ヨハネによる福音書8章21-30節
厳しい言葉が三度繰り返されています。21節「だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」24節に2度「だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」三度この言葉が繰り返されています。イエスは父なる神のもと、つまり自分はもといた栄光の場、天に戻ろうとしているということを言われました。それに対してファリサイ人たちは一緒に行けません。彼らは自分の罪の中で死ぬことになる。ここに出てくる罪とは何を言っているのかというと、イエスを受け入れていな
2024年11月03日 06:52
ヨハネによる福音書11章17-27節
今朝は、永眠者礼拝です。天に召された方々を覚えて、共に礼拝をささげます。17節で「さて、イエスが行ってご覧になると、ラザロは墓に葬られてすでに4日もたっていた。」マルタとマリアのところには多くのユダヤ人が兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言いました。22節でマルタは「しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださる、わたしは今でも承知しています。」と言いました。あなたに祈ってくださるなら、神がここで働くという、神の可能性を信じています。マルタの信仰に主イ
2024年10月15日 06:10
聖書 ヨハネによる福音書8章1‐11節 この聖書の個所は、皆さんもよくご存じのお話です。この章に入る前、つまり7章でイエスの話に多くの人が引き寄せられた様子が記されていますが、このことに危機感を感じた律法学者、ファリサイ派の人々がイエスを訴えようと口実を考えたのです。そこに姦通の現場で捕られられた女性が連れてこられます。そして5節「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」とイエスに質問をしました。しかしイエスは何も答えませんでした。しかし、彼らがしつこく問い続けるので答えます。7節「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、
2024年10月06日 04:52
聖書 使徒言行録1章6-8節
8節「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」この聖句は使徒言行録の中心聖句です。なすべき使命が何かという話がここから始まります。復活して生きておられるイエスが、聖霊を通して弟子たちを通して主の働きを継続されます。つまりキリストの証人となって活動することが弟子たち、あるいは教会が、この地上でキリストの代理人として働くということです。地理的にはエルサレムから始まります。初代教会が誕生したのはエルサレムです。イエスを拒否した祭司、律法学者たちが権威を
2024年09月29日 04:41
聖書 ヨハネによる福音書7章40-52節
今日の個所のキーワードは対立です。評価が割れました。一つは「この人は本当にあの預言者だ」この場合、モーセのような預言者が登場します。二番目は「この人はメシアだ」と評価した人がいた。三番目は「ガリラヤ出審なのでメシアではない」という人がいた。聖書の預言を知っている人は、ダビデの子孫はベツレヘムから出ると言い張ります。イエスはガリラヤ出身だと思い込んでいました。44節「その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。」なぜイエスを捕らえなかったか。まだイエスの時が来ていなかったからです。神の御心の時は、これから半年後の十字架でした。
2024年09月22日 15:23
聖書 ヨハネによる福音書7章37-44節
38節に「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」とあります。「その人の内から」の「内」とは私ども人間の存在の中に宿っているもの、人間の内面、または心という意味です。わたしたちの肉体を含めたわたしどもの存在の中から、水が流れ出てくる。それは何よりも主イエス御自身について言えることです。主イエスは肉体を持つ存在として来てくださった。そのイエスの肉体が十字架につけられた時、主イエスのお体から血と水が流れ出たとあります(ヨハネ19:34)。38節に出てくる「生きた水」とは命の水と置き換えることがで
2024年09月15日 14:16
聖書 ヨハネによる福音書7章25-36節
先週の続きですが、エルサレムの宗教指導者たちはイエスを逮捕し殺そうとする計画をもってました。彼らは内密にしているつもりでしたが、エルサレムの住民は公然と知っていました。ですから、イエスが逮捕されないで自由に動いているので住民たちは驚いています。28節「すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。『あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない』」と言われました。イエスが誰か、イエスがどこの出身かを知っているが、そ
2024年09月08日 15:01
聖書 ヨハネによる福音書7章10-24節
15節で「ユダヤ人たちが驚いて、『この人は学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう』」という質問をしました。このユダヤ人とは宗教的指導者たちです。イエスの言葉を聞きながら驚いています。これを聞いてイエスは応答します。16-17節「イエスは答えて言われた。『わたしの教えは自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出た者か、わたしが勝手に話しているのか、わかるはずである。』」イエスの答えの中心は「わたしの教えは、わたしをお遣わしになった方の教えである」。
2024年09月01日 18:34
聖書 ヨハネによる福音書7章1-9節
イエスが弟子たちを訓練している話が続いています。この場所はイスラエルの北の方にあるガリラヤです。訓練の内容は、迫害の中でどのように生きるかという内容に移行していきます。ファリサイ人が嫉妬を覚えイエスを迫害するようになりました。だからイエスはガリラヤに来られました。ガリラヤでのイエスの活動は大変な人気になりました。しかし、あるメッセージをきっかけに多くの弟子たちが水が引くようにイエスのもとからいなくなりました。それは、6章53節「イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない』。」こういう話になった