宣教

2023年07月24日 04:55

2023.7.23 宣教「お前は神を恐れないのか」

聖書 ルカによる福音書23章39-43節  ここには、エルサレムのカルバリの丘で十字架につけられておられる主イエスと、二人の「犯罪人」との対話が記されています。 三本の十字架の真ん中にキリストがかけられ、両側には犯罪人がかけられていました。当時十字架に掛けられることは極刑でした。だから両側にいる二人の犯罪人が死刑に当たるほどの重い罪を犯したことは確かです。この犯罪人の二人はキリストに対して共に反抗的な態度を示していたようでしたが、しかし、二人のキリストへの態度には変化が現れて来ました。その結果は明暗を分けました。十字架の上で苦しみが深くなり、痛みが激しくなっていく中で、一人の犯罪人はキリストに
2023年07月17日 18:50

2023.7.16 宣教「少女よ、起きなさい」

聖書 マルコによる福音書5章35ー43節 今朝は、日本聖書神学校から松井直樹神学生(4年生)に来て頂きまして礼拝の御用をして頂きました。聖書はマルコ5章36節から会堂長の娘を死から生へと導かれた主イエスの物語でした。この35節より前には12年間も病の中にあった女の人への癒しの業が記されています。そこに、娘の病を癒して頂きたいと熱心に願いにやって来た会堂長がいました。会堂長は今度こそ自分の娘が癒される番だと思ったに違いありません。しかし、そこに会堂長の家から娘が亡くなったという知らせが届きました。36節「イエスはその話をそばで聞いて『恐れることはない。ただ信じなさい。』と会堂長に言われた。」私た
2023年07月09日 18:06

2023.7.9 宣教「赦しと救い」

聖書 ルカによる福音書23章32-38節  32節「ほかにも、二人の犯罪人がイエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。されこうべと呼ばれているところに来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。」イエスは真ん中で右と左に犯罪人がつけられた。三本の十字架が立てられ、その苦しみの中で最初に祈られた祈りが、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」です。イエスに罪はありません。だから、イエスは十字架上から「彼らを罰してください」と祈ってもよかったはずです。ところがイエスの祈りは全く特殊です。一つは復讐を求めていな
2023年07月03日 09:36

2023.7.2 宣教「自分を見て泣け」

聖書 ルカによる福音書23章26-31節  28節「イエスは、婦人たちの方をふり向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』という日が来る。そのとき、人々は山に向かっては『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえ、こうなるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」とあります。主イエスは十字架刑の判決を受け、ゴルゴダの丘に向けて歩まれていました。その途中で群衆の中の婦人たちに、このように声をか
2023年06月25日 16:37

2023.6.25 宣教「この人を見よ」

聖書 ルカによる福音書23章13-25節  主イエスの裁判の記事を読みますと、なぜ主イエスは殺されたのか。なぜ、こういう許されないことが起こったのか?私たちは、主イエスの十字架での死は私たちの救いであり神の御計画だったと思っています。それはそうだとも言えますが、このような説明のつかない人間の不正をどのように受け止めてよいのかわかりません。22節で「ピラトは三度言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』」ピラトは釈放すべきだと言いましいた。しかし、群衆がわめき続けて、ピラトは群衆の言うままに最後の責任を群
2023年06月19日 16:10

2023.6.18  宣教「神の宣教}

聖書 ヨハネによる福音書17章1~13節  今朝は、日本聖書神学校校長の神保望先生をお招きしての「特別伝道礼拝」でした。「永遠の命とは、真の神を知ること。それは頭で理解するのではなく、ただ神に信頼をよせること。」「私たちが、御子イエス・キリストを知るとは、教会の説教すなわち宣教にあること。」「宣教とは福音を宣べ伝えること。それは、私たちが福音による喜びに満ちあふれるために。」と明確に語ってくださいました。ぜひ、礼拝案内からクリックして神保先生の宣教を御覧ください。神保先生、ありがとうございました。
2023年06月12日 15:52

2023.6.11 宣教「神の沈黙の意味」

聖書 ルカによる福音書23章1-12節 今朝与えられた御言葉に導かれながら、真実の沈黙の意味を考えて、何よりも主イエスの沈黙に心を注いで考えていきたいと思います。ヘロデは、9-10節で「それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。」今こそ、ピラトやヘロデと言うこの世の権力者たちに正面からご自分の言葉をたたきつけてもよいのではないかというところで、主イエスは黙っておられる。なぜ黙っておられるのか。ヘロデはいらいらしたに違いありません。ヘロデの支配下にある人間は、ヘロデに問われたら答えなければいけない。ところが、主イエ
2023年06月05日 05:55

2023.6.4 宣教「キリスト、人の子、神の子」

聖書 ルカによる福音書22章63-71節  67節「『お前がメシアなら、そうだと言うがよい。』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。』」主イエスという方は、キリスト・イエスと呼ばれ、御自分は人の子と呼ばれ、また神の子とも呼ばれておられました。この肩書は、主イエスの役割、あるいは主イエスの職務とも言えます。主イエスは、いったい何をするためにこの地上に来られたのか。それを、キリスト・人の子・神の子という三つの肩書が言い表します。マタイ福音書16章13節からを読んでみますと、イエスがフィリポ・カイザリアに行く途中で弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと
2023年05月28日 05:28

2023.5.28 宣教「聖霊の力」

聖書 使徒言行録2章1-13節  2-4節「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた、そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」ペンテコステというのは、イエスの復活後、集まっていた信徒の上に神からの聖霊が降りた出来事です。1章15節には「120人ほどの人々が一つになっていた」と記されていますので、それほど多くの信徒の上に聖霊が降りたと思われます。そのとき大きな「音」がして「炎のような舌」が現れたというのです。信徒たちは、その場所で激しい経験をしま
2023年05月21日 20:13

2023.5.21 宣教「キリストのまなざし」

聖書 ルカによる福音書22章54-62節 今朝の聖書の記事にペトロが出て来ます。54節「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。」ペトロはカヤファの官邸の中庭に焚かれた「たき火」の周りにいた人々の「中に混じって腰を下ろし」たのです。ペトロはイエスの傍に入り込んでいました。56節「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。」とあります。ペトロはイエスに最も愛された弟子であり、また自分も最も忠実な弟子だと思ってイエスについてきたのです。そのペテロが「あなたもイエスの仲間だろう」

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