宣教

2023年03月20日 06:04

2023.3.19 宣教「永遠の言葉」

聖書 ルカによる福音書21章29-38節  この21章の終わりは、主イエスが語られている滅びについての大切なところです。聖書が、死ぬこと生きることについて語るとき、信仰は深く関わっています。聖書がこの問題にどのように理解しているかということを中心に考えてみたいと思います。32節と33節で「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」と言われました。この時代を生きている人々が滅びるかどうかということは、神が決められることです。私たち自身が、自分で自分を滅ぼすとか、もう自分の人生はだめだとか、世の中ははかないと決め込んで
2023年03月12日 05:46

2023.3.12 宣教「救いは近い」

聖書 ルカによる福音書21章20-28節  この主イエスの最後の説教はエルサレム神殿で行われています。28節「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」主イエスは、私どもの生きて行く姿勢は身を起こして頭を上げることだと教えておられます。信仰に生きるということは、下を向いた顔ではなくて、顔を上げて上を向いて歩くことです。しかし、私たちが自分の生活を考えてみたとき、案外、身を縮めて歩いていることに気づきます。身を起こして、頭を上げて歩く時はいつでしょうか。「このようなことが起こり始めたら」と言われました。それは20節からの言葉です。エルサレム神
2023年03月05日 06:31

2023.3.5 宣教「耐え忍ぶ者の勝利」

聖書 ルカによる福音書21章10-19節  19節「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」という主イエスの言葉は、忍耐することによって、あなたがたは自分の命をかち取る、命を保ち続けると約束してくださっているのです。耐えていれば、あなたがたは、自分の命を得るということです。「忍耐によって」ということは忍耐から逃げないことです。これは非常につらいことです。しかも、聖書が語る忍耐は、今しばらく我慢して、暗闇の中でじっとしていれば、やがて光が射して来るというのではありません。この忍耐について語っておられる主イエスのみ言葉には、10節「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」とあり、11節「そして
2023年02月26日 14:12

2023.2.26 宣教「終末の予兆」

聖書 ルカによる福音書21章5-9節  この21章全体を通して、主イエスは一つの主題について語っています。それは世の終わりについてです。これをわたしたちは「終末」と呼んでいます。6節「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と、すなわち主イエスは、必ず人間の造ったものは崩壊すると言われたのです。これは、エルサレムの都、神殿に対する神の審きを語っておられます。エルサレムの人々の傲慢な思いが、叩き潰される時が来ると言う預言です。そこで、人々はいつ、そんなことが起こるのですかと質問しましたが、主イエスは、その神殿が崩れて行くとき、あなたがたは惑
2023年02月19日 16:34

2023.2.19 宣教「銅貨二枚の献金」

聖書 ルカによる福音書20章45-47節、21章1-4節  今朝のテキストは二つに分かれた部分を一つにして読みました。だんだんと主イエスの十字架の日が近づいてきます。この主イエスの受難は大変孤独なものでした。46節で「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。」と。では律法学者の何が問題かというと、広場で挨拶されることに満足する律法学者であり、見せかけの長い祈りです。どこで間違ったのか?それは「見せかけの」という言葉があるように、人に認めてもら
2023年02月12日 16:52

2023.2.12 宣教「キリストの到来を待つ」

聖書 ルカによる福音書20章41-44節  41節「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。」と。主イエスからの問いかけはこの一言です。続いて42節「ダビデ自身が詩編の中で言っている」と、ここで旧約聖書の詩編110編の言葉を引用されました。ダビデは詩人でもあり、竪琴を奏でて歌を歌いました。44節「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」と言う質問で終わっています。「ダビデの子」とはいったいどういうことでしょうか。このイエスの時代はローマに支配されていました。そこに英雄待望論が出て来ます。当時の人々にとってダビデ王は理想的な王でした
2023年02月05日 14:02

2023.2.5   宣教「人は神に生きる」

聖書 ルカによる福音書20章27節ー40節  サドカイ派の人たちが主イエスをやり込める議論をしようと、次のような話を組み立てました。「7人の兄弟がいる長男が子がないまま死んでしまった。子どもがないということは跡継ぎがないということであるので、ユダヤ人は信仰の継承と神の祝福が断たれないように、その妻は次男の妻とならなければならない。跡継ぎを得るためです。ところが次男も三男も次々と子どもを残さず死んでしまった。このようにして子を残さずに7人の夫を迎えることになった女がいたとする。さて、復活の時、この女はだれの妻になるのか。」と言う話です。これは単なる議論のための議論です。まるで女性を子どもを産む機
2023年01月29日 08:39

2023.1.29 宣教「神のものは神に返せ」

聖書 ルカによる福音書20章20-26節  政治と教会の関係はいつも問題になります。20節で「最初そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし」とあります。この「回し者」とは「スパイ」のことです。秘密警察のような者で、ここでは「正しい人を装った」とあります。神を信じて熱心な顔をしている人ですが、21~22節「回し者らはイエスに尋ねた。『先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでし
2023年01月22日 08:07

2023.1.22 宣教「ぶどう園の主人と農夫」

聖書 ルカによる福音書20章9-19節  主イエスの譬え話に、よく出て来るのは農夫たちです。ガリラヤにはたくさんの農園があったようです。このたとえ話の農夫たちは主人から農園を預かり働いていました。ある時、主人が農夫たちに農園経営を完全に任せて長い旅に出たようです。ぶどう園では豊かな収穫が予想されていました。やがて農夫たちの努力が報われ、その収穫の時が来ました。そこに主人の使いが現れました。農園の主人が、自分の分け前をくれと言っていると伝えました。農園の主人としての当然の権利として言いました。ところが、農夫たちはその僕を袋叩きにして帰らせてしまいました。そこで、主人はもう一人の僕を送りますが、「
2023年01月15日 06:09

2023.1.15 宣教「何の権威で」

聖書 ルカによる福音書20章1-8節  ここで権威ということが問われています。主イエスが神殿の境内で民衆に福音を告げておられました。民衆は夢中になってイエスの話に聞き入っていたのです。ところが、それが祭司長、律法学者たちには気に入らなかったのです。学者たちは、イエスに「何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」と問いました。主イエスの権威とは、悪魔の権力から人間を奪い返し、自由にする力を与える権威です。しかし、彼らは主イエスの権威を正しく理解することができません。祭司長や律法学者にとって自分たちが権威ある者であり、この主イエスの権威が明らかになると、それに腹を立てまし

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