記事のアーカイブ

2024年04月07日 06:10

2024.4.7 宣教「求めよ、さらば与えられる」

聖書 マタイによる福音書7章7-12節  2024年度の水元教会の聖句は、マタイによる福音書7章7節のみ言葉が教会員の投票で決定しました。「求めよ」というのは、お勧めではなく、これは命令になっています。「門をたたけ」「探せ」も同様です。大事なことは求め続けなさいと継続を言われています。一時的なものではありません。そして、神が言われている言葉は、神に立ち帰りなさい、つまり「神のもとに帰る道を必死で探しなさい」と言われています。神は人間がご自分のもとに帰って来ることを切に望んでおられます。現代の豊かさの中で、自分の好きなように、自由に、もう神のもとにいなくてもよい、祈ることも、神に守って
2024年03月31日 17:37

2024.3.31 宣教「イエスの復活」

聖書 マタイによる福音書28章1-20節  イエスの埋葬が終わり、安息日が過ぎていきました。人間の思いをはるかに超えたところで神の計画が進んでいます。イエスはいつ復活されたのか?安息日が終わって週の初めの日です。1節を読むと「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った」とあります。ユダヤの国では、日没と共に週の初めの日が始まっています。明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが墓に見に行ったときに、大きな地震が起こりました。2節「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。」見張
2024年03月24日 05:13

2024.3.24 宣教「十字架のことば」

聖書 マタイによる福音書27章45-56節 45節「さて、昼の十二時に全地は暗くなり、それが三時まで続いた」とあります。聖書で語られる暗闇とは神の裁きの象徴です。この昼の12時から午後三時までの三時間は、人類の歴史上で特別な三時間であることが分かります。46節「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」とあります。これは、イエスが父なる神を疑っているわけではなく、この言葉は旧約聖書の詩編22編からの言葉を語られています。イエスは罪のための贖いとして十字架の上で死のうとされています。全知が
2024年03月19日 09:39

2024 イースター(復活祭)ご案内

皆様、いかがお過ごしですか。2024年のイースター(復活祭)は下記のように迎えたいと思います。子どもの教会の礼拝も大人の礼拝と合同で致しますので、ぜひ小さなお子様も、どなた様も、お誘い合わせてご出席ください。日時 3月31日(日) 午前10時半~12時宣教 「復活のイエス」聖書 マタイによる福音書28章1~20節礼拝後、ささやかな愛餐会を致します。その後、習志野市海浜墓地で午後2時より墓前礼拝を致します。    
2024年03月17日 04:31

2024.3.17 宣教「彼らをお赦しください」

聖書 ルカによる福音書23章32ー38節 主イエスが十字架につけられて祈られた言葉に、34節「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」があります。この言葉に、心を打たれ、神の愛を知るきっかけを与えられ、信仰の道に入られた方もおられると思います。また、このイエスの十字架の執り成しの祈りの言葉を聞いて、もう一度信仰が深められることがあります。わたしのための十字架、それが分かったときに、自分の罪の重荷から自由に解き放たれるからです。イエスはイスカリオテのユダのため、また祭司やファリサイ派の人のため、ポンテオピラト、ユダヤの群衆、ローマ兵のため、わたしたちのために十字架で死な
2024年03月10日 17:58

2024.3.10 宣教「十字架の意味」

聖書 マタイによる福音書27章27-44節 レントとは「灰の水曜日」からイースターの前までの日曜日を除く40日間を言います。その期間、私たちは主イエスが十字架で受けられた苦しみを思い起こします。主イエスは何の罪も犯していないのに裁判を受け十字架にかけられました。その十字架の意味を理解することをこのレントの期間に考えていきたいと思います。十字架のイエスに向かって、人々や祭司長や律法学者たちが、43節「神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐに救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」と言いました。あなたは神の子だと自分で言っているが、もしそれが真実なら十字架は神の子にふさわしいこ
2024年03月03日 16:58

2024.3.3 宣教「ゲツセマネの祈り」

聖書 マタイによる福音書26章36-46節  この聖書の個所は、最後の晩餐の後、主イエスが逮捕される直前の話です。ゲツセマネの園でお祈りをなさった個所です。まずゲツセマネという場所でイエスについていった弟子の数は11人です。11人の中の8人を残して、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人を連れて祈りに行かれました。そして、38節「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と命じられました。ふたたびイエスは39節で「少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のま
2024年02月26日 04:23

2024.2.25 宣教「ナルドの香油」

聖書 ヨハネによる福音書12章1-8節  1節に「過越し祭りの6日前にイエスはベタニアに行かれた」とあります。キリストが十字架にかかられる6日前です。一人の女性マリアが、自分の大切にしている高価なナルドの香油1リトラ持って来て、イエスの足に塗り自分の髪の毛でぬぐった。それを見たイスカリオテのユダが「これを売れば300デナリオンになるではないか、なぜ、貧しい人たちに施さなかったのか。」と言いました。7-8節に「キリストは『この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。』」
2024年02月20日 08:25

2024.2.18 宣教「ザアカイが義しくなった日」

今朝は山梨県峡南教会から森容子牧師をお招きしての特別礼拝です。先生はハッキリとしたお声で簡潔に深く聖書の解き明かしをしてくださいました。遠い所からお越しくださり本当にありがとうございました。森容子先生に今朝のお話の要点をまとめて頂きましたのでお読みください。聖書 ルカによる福音書19章1~10節 主は、エルサレム入場直前のエリコの町で、木の上から見下ろす徴税人の頭に気づかれ、天を仰がれます。そして、「ザアカイ(義しき人)よ、今日わたしは、神の御心によって、あなたの家に泊まらなければならない。(原典訳)」と告げられます。それは、罪に極まったザアカイの心に、突如侵入口が開き、イエス・キリストという
2024年02月10日 11:35

2024.2.11 宣教「わが喜び、満たされる」

聖書 ヨハネによる福音書3章22-30節  29節「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされる。」新郎新婦には介添え人がいます。その人は最も信頼されていてる友人であり、妬みの心もなく自分が愛している友人のため心を尽くして傍に立ってお世話をします。花婿の介添え人は、花婿の喜びの声に耳を傾け花婿の声が聞こえると大いに喜ぶというのです。ここにおける花婿とは主イエス・キリストです。新約聖書では、花婿はキリストでありキリストを迎えているのは教会のことだと理解します。教会がキリストの花嫁です。すなわち、教会の基礎を造ってい

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