2024年05月19日 04:38
聖書 使徒言行録2章1-4節
今朝はペンテコステ(聖霊降臨)礼拝です。聖霊降臨はいつ?どこで?起こったか。誰が?体験したのか。あるいは誰が関係したのか?そして実際に何が起こったのか。これは歴史的事件です。まず、いつ起こったかについてですが、1節「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっている」ときです。五旬節をギリシア語でペンテコステと言います。それはイエスの復活後50日目に起こりました。場所はエルサレムです。2節「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」彼らが座っていた家とは、1章の続きから、エルサレムにあるこの家の部屋のことです。時間は朝の9時で
2024年05月13日 13:21
聖書 ヨハネによる福音書4章43‐54節
今日の箇所は、王に仕えている役人の息子を主イエスが癒されたお話です。この役人は、今まで王に仕えていて自分の力でどうにでもなる体験をしてきました。しかし今、死にかかっている息子をどうすることもできないという自分の無力さを知らされています。彼はカファルナウムからカナというところに主イエスに助けを求めに来ました。ところが主イエスが言われたのは、48節「イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。」あなたがたは、ただしるしを求める信仰に生きているだけだ。主イエスが何か証明して見せなければ、受け入れることも神から
2024年05月05日 04:42
聖書 ヨハネによる福音書4章27-42節
27節「ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女と話をしておられるのに驚いた。しかし、『何か御用ですか』とか、『何をこの人と話しておられるのですか』と言う者はいなかった。」弟子たちは主イエスがサマリアの女と話をしておられるのに驚きました。弟子たちはサマリアを口に出すのも嫌だという思いがあったのでしょう。しかし、このサマリアの女にとっては、一生に一度しかない対話であったと思います。そのサマリアの女との対話を主イエスが厳粛な思いでしておられます。この女の心の中に深くあるのは、一体祝福とは何か、本当の平安な生活とは何かという思いであったと思います
2024年04月28日 18:00
聖書 ヨハネによる福音書4章16-26節
イエスとヤコブの井戸のほとりにおけるサマリアの女が対話をした物語が続いています。正午ごろのひととき、そこへ一人の女が人目をはばかるように水を汲むために井戸に近づいてきた。イエスはこの女に「水を飲ませてください」と声をかけられた。この女は驚いた。当時の習慣では、ユダヤ人とサマリア人との間には会話することもない歴史的な理由があった。この時、イエスの求めは問題を心の内に持っている女に近づくための方法でした。イエスは「この水」を「わたしが与える水」へと話題を変えていきます。21節「イエスは言われた。『婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサ
2024年04月21日 17:44
聖書 ヨハネによる福音書4章1-15節 6節に「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。」とあります。サマリア人とユダヤ人の対立は旧約聖書の列王記下17章に詳しく書かれています。主イエスは、ユダヤからサマリアへの道を歩き続けて渇き疲れておられた。弟子たちは食事を整えるために町へ出かけて行った。今、主イエスの肉体の弱さの中で飢え渇いておられる、そこにサマリアの女がやって来た。ここで敵意を持っているサマリアの女に「水を飲ませてください」と言う主イエスの言葉から対話が始まります。9節「すると、サマリヤの女は、『ユダヤ人のあなたがサマ
2024年04月14日 17:12
聖書 ヨハネによる福音書3章31-36節
著者のヨハネは34節で「神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が”霊”を限りなくお与えになるからである。」と言っています。神がお遣わしになった方とはイエス・キリストのことです。この「神から遣わされた方」という言い方は、ヨハネによる福音書の中に39回も出て来ます。そして、イエスは「神の言葉を話される」ということです。なぜ神の言葉を語られるのかというと、「神が”霊”を限りなく無限に与えられるから」です。わたしたちには限界がありますが、イエス・キリストはそういう方であるがゆえに、イエスは信用できる方であるということです。さらに、35-36節に「御
2024年04月07日 06:10
聖書 マタイによる福音書7章7-12節
2024年度の水元教会の聖句は、マタイによる福音書7章7節のみ言葉が教会員の投票で決定しました。「求めよ」というのは、お勧めではなく、これは命令になっています。「門をたたけ」「探せ」も同様です。大事なことは求め続けなさいと継続を言われています。一時的なものではありません。そして、神が言われている言葉は、神に立ち帰りなさい、つまり「神のもとに帰る道を必死で探しなさい」と言われています。神は人間がご自分のもとに帰って来ることを切に望んでおられます。現代の豊かさの中で、自分の好きなように、自由に、もう神のもとにいなくてもよい、祈ることも、神に守って
2024年03月31日 17:37
聖書 マタイによる福音書28章1-20節
イエスの埋葬が終わり、安息日が過ぎていきました。人間の思いをはるかに超えたところで神の計画が進んでいます。イエスはいつ復活されたのか?安息日が終わって週の初めの日です。1節を読むと「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った」とあります。ユダヤの国では、日没と共に週の初めの日が始まっています。明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが墓に見に行ったときに、大きな地震が起こりました。2節「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。」見張
2024年03月24日 05:13
聖書 マタイによる福音書27章45-56節 45節「さて、昼の十二時に全地は暗くなり、それが三時まで続いた」とあります。聖書で語られる暗闇とは神の裁きの象徴です。この昼の12時から午後三時までの三時間は、人類の歴史上で特別な三時間であることが分かります。46節「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」とあります。これは、イエスが父なる神を疑っているわけではなく、この言葉は旧約聖書の詩編22編からの言葉を語られています。イエスは罪のための贖いとして十字架の上で死のうとされています。全知が
2024年03月17日 04:31
聖書 ルカによる福音書23章32ー38節 主イエスが十字架につけられて祈られた言葉に、34節「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」があります。この言葉に、心を打たれ、神の愛を知るきっかけを与えられ、信仰の道に入られた方もおられると思います。また、このイエスの十字架の執り成しの祈りの言葉を聞いて、もう一度信仰が深められることがあります。わたしのための十字架、それが分かったときに、自分の罪の重荷から自由に解き放たれるからです。イエスはイスカリオテのユダのため、また祭司やファリサイ派の人のため、ポンテオピラト、ユダヤの群衆、ローマ兵のため、わたしたちのために十字架で死な