2023年09月02日 05:51
ルカによる福音書24章28-43節
エマオへ帰る途中、二人の弟子が思いがけなく主イエスに出会いました。28-29節「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が『一緒にお泊り下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。」ここでもまだ、二人の弟子は主イエスに気づいていません。夕刻の旅は危険ですし、お互いに空腹になっていました。30-31節「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、
2023年08月27日 05:24
聖書 ルカによる福音書24章13-27節
今朝は、有名なエマオの途上の話です。13-14節「ちょうどこの日、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」と、ここから物語が始まっていきます。「ちょうどこの日」とは、日曜日の午後のことです。「二人の弟子」とはイエスを信じている人たちです。なぜ、彼らがエルサレムから離れて行くのか理由は書かれていませんが、おそらく彼らはエルサレムから自分の故郷に帰る途中だったと思われます。その途中、第三の人がそばにやってきて一緒に道を歩きはじめました。15-16節「話し合って
2023年08月20日 05:58
聖書 ルカによる福音書24章1-12節
キリストは金曜日に、カルバリの丘で十字架につけられて息を引き取られました。アリマタヤのヨセフの新しい墓に葬られて、安息日の静かなときを、主イエスは墓の中で過ごされたのです。24章1節に「週の初めの日」とは、キリストが十字架にかけられた3日目、すなわち日曜日の朝のことです。婦人たちがそのお墓に来たのは夜明け前で、まだ外は暗かったと思われます。1-3節「そして、週の初めの日の明け方早く準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」墓に来た婦人たちは「墓から石が取りのけてあるのを見
2023年08月13日 06:11
聖書 ルカによる福音書23章50-56節
今日のテキストは主イエスの埋葬です。主イエスが埋葬されるとき、福音書の中で初めて登場し、その後、姿を消す人、それがアリマタヤのヨセフという人です。50節―51節「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。」彼はサンヘドリンの議員で、ユダヤ議会の国会議員です。マルコ15:43には「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」と記され
2023年08月02日 12:07
聖書 ルカによる福音書23章44-49節
46節「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます』こう言って息を引き取られた。」このように、主イエスは「父よ」と呼ばれました。神が「父」であることを、キリストを通して私どもは知ることが出来ます。キリストの教え、人格、キリストのなされた業、こういうところから神を知ることが出来ます。キリストの内には、人間的な面があります。裏切られて十字架に掛けられて死んでいかれました。しかし、そのキリストを通して私たちは神がどういう方であるかということを知ることが出来ます。キリストは「わたしを見たのは父を見たのである」と言われる。さらに「わたしと父は
2023年07月31日 16:38
聖書 詩編1篇1-6節 本日は、近隣4教会の講壇交換日礼拝のため、宣教は堀切こうとう教会より真鍋孝幸牧師に来ていただいて行われました。詩編1篇と2編は詩編の全体を凝縮されているものであり、それは信仰者の証であると。ぜひ、礼拝案内からメッセージをお聞きください。 今、堀切こうとう教会は新会堂建設中です。今年のクリスマス礼拝には新会堂での礼拝を予定されています。堀切こうとう教会の上に、主の豊かな支えと導きを心よりお祈りしていきたいと思います。真鍋先生、猛暑の中をお越しくださりメッセージをありがとうございました。
2023年07月24日 04:55
聖書 ルカによる福音書23章39-43節
ここには、エルサレムのカルバリの丘で十字架につけられておられる主イエスと、二人の「犯罪人」との対話が記されています。
三本の十字架の真ん中にキリストがかけられ、両側には犯罪人がかけられていました。当時十字架に掛けられることは極刑でした。だから両側にいる二人の犯罪人が死刑に当たるほどの重い罪を犯したことは確かです。この犯罪人の二人はキリストに対して共に反抗的な態度を示していたようでしたが、しかし、二人のキリストへの態度には変化が現れて来ました。その結果は明暗を分けました。十字架の上で苦しみが深くなり、痛みが激しくなっていく中で、一人の犯罪人はキリストに
2023年07月17日 18:50
聖書 マルコによる福音書5章35ー43節 今朝は、日本聖書神学校から松井直樹神学生(4年生)に来て頂きまして礼拝の御用をして頂きました。聖書はマルコ5章36節から会堂長の娘を死から生へと導かれた主イエスの物語でした。この35節より前には12年間も病の中にあった女の人への癒しの業が記されています。そこに、娘の病を癒して頂きたいと熱心に願いにやって来た会堂長がいました。会堂長は今度こそ自分の娘が癒される番だと思ったに違いありません。しかし、そこに会堂長の家から娘が亡くなったという知らせが届きました。36節「イエスはその話をそばで聞いて『恐れることはない。ただ信じなさい。』と会堂長に言われた。」私た
2023年07月09日 18:06
聖書 ルカによる福音書23章32-38節
32節「ほかにも、二人の犯罪人がイエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。されこうべと呼ばれているところに来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。」イエスは真ん中で右と左に犯罪人がつけられた。三本の十字架が立てられ、その苦しみの中で最初に祈られた祈りが、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」です。イエスに罪はありません。だから、イエスは十字架上から「彼らを罰してください」と祈ってもよかったはずです。ところがイエスの祈りは全く特殊です。一つは復讐を求めていな
2023年07月03日 09:36
聖書 ルカによる福音書23章26-31節
28節「イエスは、婦人たちの方をふり向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』という日が来る。そのとき、人々は山に向かっては『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえ、こうなるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」とあります。主イエスは十字架刑の判決を受け、ゴルゴダの丘に向けて歩まれていました。その途中で群衆の中の婦人たちに、このように声をか