2023年12月31日 05:35
聖書 マルコによる福音書8章31-38節
36-37節「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」これはイエス・キリストの言葉です。世界にあるすべてのものを自分が手に入れることになったとしても、命を失ったら何の得があるかと言っています。人はいつか時が来ると地上の生涯を終えていきます。その時何が残るのでしょうか。今、世界はまさに激動の中にあります。このような危機に直面している時代の中で、私たちはキリスト者として何を考えなければならなのか。それは、この御言葉にあるように私たちの命は全世界の何よりも尊い、価値があるのだ
2023年12月24日 05:14
聖書 ルカによる福音書2章8-20節
今朝はクリスマス物語の中で、もっとも有名は個所です。11節の「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」これが神のメッセージです。「今日」この時から、メシアによる救いの時代が始まりました。「ダビデの町」とはベツレヘムのことで、ダビデの出身地です。そしてダビデの子孫からメシアが誕生する約束がここで成就しました。今日、私たちのために救い主が生まれた。メシアの救いの始まりです。これが歴史の分岐点になりました。「今日」とは、神とわたしの出会いを体験する瞬間、そういうエネルギーが込められている言葉です。14節「いと高きと
2023年12月17日 04:10
聖書 ルカによる福音書2章1-7節
皇帝アウグストウスは全領土の住民登録を命令しました。そのため、人々は皆、登録するために自分の町へ旅立ちました。ヨセフもマリアも先祖の町ベツレヘムに行きました。ところが6-7節に「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。「飼葉桶に寝かせた」とは家畜にえさを与える場所です。それがメシアとして誕生したイエスのゆりかごになりました。ここでルカは何を伝えようとしているのか。メシアというお方が、人間が住む所ではなく、家畜が住む空間で、最も低い所で誕生さ
2023年12月10日 04:47
聖書 ルカによる福音書1章57-80節
57-58節「さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った」とヨハネの誕生が記されています。近所の人や親類は喜び合ったと、当時のユダヤ人の家族関係、近所の関係が暖かく表現されています。喜びの原因は、主がエリサベトを大いに慈しみと憐れみをおかけになったことです。59節には「八日目に割礼」が施されます。ユダヤの習慣です、幼子が生まれると八日目に割礼を施します。ユダヤのこの習慣は神の契約のしるしで、神がアブラハムと契約を結んだことから、神がユダヤ民族と契約を結んでいるというしるしを、自分の
2023年12月03日 04:58
聖書 ルカによる福音書1章39-56節
46-56節は「マリアの賛歌」です。その背景に旧約聖書のハンナの祈りがあります。ハンナはサムエルの母です。ハンナの祈りはサムエル記上2章1-10節ですが、その1節「ハンナは祈って言った。『主にあって、わたしの心は喜び、主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き、御救いを喜び祝う』」と不妊のハンナが子供を宿して神を讃えました。マリアは、子供を宿さないはずの乙女が子供を宿しました。マリアの賛歌46-48節「そこでマリアは言った。わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。自分の低いこの主のはしためにも、目を留
2023年11月26日 04:19
聖書 ルカによる福音書1章26-38節
28節「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。』」天使ガブリエルが一人の乙女マリアに遣わされたときの言葉です。恵まれた方とはマリアが選ばれたことで、すべては神の恵みです。29節「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」とあります。「あなたは神から恵みを受けた」のだと、予想もしない祝福がマリアにやって来たのです。31節「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」さらに神からの言葉が続きます。32-33節「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神で
2023年11月19日 04:16
聖書 ヨハネによる福音書1章43-51節
43節に主イエスとフィリポの出会いがあり、45節にフィリポとナタナエルの出会いがあります。45節「フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子だ』」これは旧約聖書に記されている、来るべき救い主を指しています。フィリポには主イエスに出会った、その驚きと喜びがあります。次に、主イエスとナタナエルとの出会いですが、なぜか主イエスが前からナタナエルを知っておられたということは不思議です。だから驚いて、48節「ナタナエルが、『どうしてわたしを知っておられるのですか』
2023年11月12日 03:03
聖書 ヨハネによる福音書1章35-42節
洗礼者ヨハネが二人の弟子と一緒にいるところに、主イエスが歩いておられました。洗礼者ヨハネが、36節「見よ、神の子羊だ」と言ったので、二人の弟子はイエスに従っていきました。そこで主イエスは38節「イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。」これがヨハネ福音書に記されている最初の主イエスの言葉です。主イエスは、わたしこそ世の罪を担う神の小羊だとも、この世の光だともおっしゃらない。最初の言葉は「何を求めているのか」です。あなたは一体何を求め、だれを求めているのかと聞いてくださっています。39節には「彼らはついて行って、ど
2023年11月05日 03:20
聖書 テサロニケの信徒への手紙第一 5章16-18節
今朝は、先に召された諸兄姉を覚えた永眠者記念礼拝です。パウロが書いたこの短い手紙の中にある今朝のみ言葉は、私どもがキリスト者としての生き方を克明に教えています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」この「キリスト・イエスにおいて」という言葉には、一切の問題の解決はキリストにあると言い表されています。パウロはキリストにあるということがなければ、私どもは信仰に堅く立って、いつも喜んでいくことができない、あるいは祈りと感謝をする思いをもっ
2023年10月29日 04:40
聖書 ヨハネによる福音書1章29-34節
32節~34節で、洗礼者ヨハネは「わたしは、”霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」と証しをしています。洗礼者ヨハネが、ナザレのイエスという若者に洗礼を施したとき、この神の声が聞こえ、聖霊の働くのを見ました。その時、ヨハネは嬉しかったと思います。洗礼者ヨハネのよ