2024年03月10日 17:58
聖書 マタイによる福音書27章27-44節 レントとは「灰の水曜日」からイースターの前までの日曜日を除く40日間を言います。その期間、私たちは主イエスが十字架で受けられた苦しみを思い起こします。主イエスは何の罪も犯していないのに裁判を受け十字架にかけられました。その十字架の意味を理解することをこのレントの期間に考えていきたいと思います。十字架のイエスに向かって、人々や祭司長や律法学者たちが、43節「神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐに救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」と言いました。あなたは神の子だと自分で言っているが、もしそれが真実なら十字架は神の子にふさわしいこ
2024年03月03日 16:58
聖書 マタイによる福音書26章36-46節
この聖書の個所は、最後の晩餐の後、主イエスが逮捕される直前の話です。ゲツセマネの園でお祈りをなさった個所です。まずゲツセマネという場所でイエスについていった弟子の数は11人です。11人の中の8人を残して、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人を連れて祈りに行かれました。そして、38節「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と命じられました。ふたたびイエスは39節で「少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のま
2024年02月26日 04:23
聖書 ヨハネによる福音書12章1-8節
1節に「過越し祭りの6日前にイエスはベタニアに行かれた」とあります。キリストが十字架にかかられる6日前です。一人の女性マリアが、自分の大切にしている高価なナルドの香油1リトラ持って来て、イエスの足に塗り自分の髪の毛でぬぐった。それを見たイスカリオテのユダが「これを売れば300デナリオンになるではないか、なぜ、貧しい人たちに施さなかったのか。」と言いました。7-8節に「キリストは『この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。』」
2024年02月20日 08:25
今朝は山梨県峡南教会から森容子牧師をお招きしての特別礼拝です。先生はハッキリとしたお声で簡潔に深く聖書の解き明かしをしてくださいました。遠い所からお越しくださり本当にありがとうございました。森容子先生に今朝のお話の要点をまとめて頂きましたのでお読みください。聖書 ルカによる福音書19章1~10節 主は、エルサレム入場直前のエリコの町で、木の上から見下ろす徴税人の頭に気づかれ、天を仰がれます。そして、「ザアカイ(義しき人)よ、今日わたしは、神の御心によって、あなたの家に泊まらなければならない。(原典訳)」と告げられます。それは、罪に極まったザアカイの心に、突如侵入口が開き、イエス・キリストという
2024年02月10日 11:35
聖書 ヨハネによる福音書3章22-30節
29節「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされる。」新郎新婦には介添え人がいます。その人は最も信頼されていてる友人であり、妬みの心もなく自分が愛している友人のため心を尽くして傍に立ってお世話をします。花婿の介添え人は、花婿の喜びの声に耳を傾け花婿の声が聞こえると大いに喜ぶというのです。ここにおける花婿とは主イエス・キリストです。新約聖書では、花婿はキリストでありキリストを迎えているのは教会のことだと理解します。教会がキリストの花嫁です。すなわち、教会の基礎を造ってい
2024年02月04日 03:05
聖書 ヨハネによる福音書3章16-21節
16節「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」この聖句はほとんどのキリスト者が知っている言葉です。ここに福音の本質があります。これを信じる人の人生を変えるエネルギーに満ちています。「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された」神のなさることは、すべて終わった。すなわち、神の側の責任は果たされ今度は救われるために、私たちの側の責任があります。イエス・キリストが十字架の上で死に人類の罪を贖ったから全部の人が救われたということはありません。私たちがそれを信じて受け取ったとき
2024年01月28日 05:20
聖書 ヨハネによる福音書3章1-15節
1節「さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。」主イエスは、ユダヤ人の指導的な立場にあったニコデモと丁寧に対話をされました。ニコデモは誠実に生きている人で、熱心なファリサイ派の人です。しかし、彼が問い続けているのは神の国のことでした。ニコデモは主イエスの癒しの業や奇跡を知っており、主イエスを神のもとから来られた教師、神が共におられると認めています。そういう方だから、神の国について答えることが出来るに違いない。そこで3節「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることは出
2024年01月21日 00:00
聖書 ヨハネによる福音書2章23-25節
ここで、当時のエルサレムにいたユダヤ人があやふやな信仰を持っていたということが記されています。23節「イエスは過越しの間エルサレムにおられたが、そのなさったししるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」とあります。イエスのしるし、奇跡が何であるかは書いていませんが、ここでイエスの奇跡が始まっています。彼らが信じた理由は、しるしを見たからでした。主イエスを自分の罪からの救い主として信じたわけではありません。24-25節「しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それはすべての人のことを知っておられ、人間について誰からも証ししてもらう必要
2024年01月14日 04:27
聖書 ヨハネによる福音書2章13-22節
2章1-11節で、カナの婚礼の席で水をぶどう酒に変えた奇跡をしてくださったイエスは、その後、エルサレムの都に行くために、巡礼の旅を続けられました。そして13節には、過越しの祭りのためにエルサレムへ上って行かれたと記されています。14節で「神殿から商人を追い出した」とあり、16節「鳩を売る者たちに言われた『このような者はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない』」とあります。神殿はわたしの父が住んでおられる「わたしの家」だと言われています。主イエスは父なる神のことをよく知っておられます。ですから神殿で商売しているのを御覧になって、耐え
2024年01月06日 09:55
聖書 ヨハネによる福音書2章1-12節
カナの婚礼物語はイエスの最初の奇跡物語として多くの人に知られています。ガリラヤのカナについて行った最初の弟子たちは、この奇跡をどのように思ったでしょうか。イエスと共にいたのは、アンデレ、ペトロ、フィリポ、ナタナエル、ヨハネの5人の弟子で、この婚礼に招かれていました。カナの結婚式の様子をみると、当時の結婚式としては恵まれた人であったように思います。当時のユダヤの婚礼の宴会は一日では終わりません。準備もしていました。父親にとって、自分の息子や娘の結婚式の途中でお酒がなくなるということは不名誉なことでした。結婚式の花婿も花嫁も、この時は人生で一番幸せなときで