宣教

2023年10月15日 04:46

2023.10.15 宣教「キリストの恵みの証人」

聖書 ヨハネによる福音書1章9ー18節 バプテスマのヨハネは光ではなく光について証しをするために来た人です。9節「その光はまことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」「まことの光」とは、自分の一生をかけて信頼できるものが真の光です。キリストは真の光で世に来てすべての人を照らすのであると書いています。すべての人を照らすとは、それを求めて来る人には誰であっても真理を示すということです。ところが、11節「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」人は真の光を受け入れず、迫害さえしました。12-13節「しかし言は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」
2023年10月08日 05:11

2023.10.8 宣教「光についての証人」

聖書 ハネによる福音書1章6-8節  6節「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである」と、ここでバプテスマのヨハネが登場します。ロゴスなるお方と、バプテスマのヨハネという人の、これは無限と有限の対比です。バプテスマのヨハネは、神から遣わされた人であり、また使命を与えられている代理人です。旧約聖書の預言者たちが神の言葉をいただいて人々に伝えているのと同じです。バプテスマのヨハネはメシアの代理人として神から遣わされました。主イエスはバプテスマのヨハネのことを、「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」(マタイ11:11)と話されています。7節「彼は証しを
2023年10月01日 05:06

2023.10.1 宣教「光は暗闇に輝く」

聖書 ヨハネによる福音書1章1-5節  今朝は水元教会創立29年の記念礼拝です。この29年間を神がこの水元の地で福音を伝える業を支え、導いてくださったことに感謝します。聖書の個所はヨハネ福音書の1章1-5節をもう一度取り上げました。5節「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」今も、暗闇は光を理解することは出来ません。ここでの光とは真理のことです。そしてより具体的にはイエス・キリストのことです。暗闇というのは、この世の価値観であり、そしてそれを支配している悪魔のことです。そうしますと、この世の価値観にいる人は、光を理解できないということになります。今の世の中にも、聖書に出て来るよ
2023年09月24日 13:51

2023.9.24 宣教「存在の根源」

聖書 ヨハネによる福音書1章1-5節  今週からヨハネによる福音書を学びます。1章1節から2節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。」この「初めに言があった。」という書き出しは、聖書の最初に出て来る創世記1章1節の「初めに神は天地を創造された」をイメージさせます。ところが、ヨハネは「創世記」より以前にさかのぼってイエスというお方の本質を伝えようとしています。「言」という字は原文のギリシア語では「ロゴス」です。ヨハネは、天地創造より以前に存在したお方として、神ではなくて「初めに言があった」というロゴスの存在を表現しています。この「言」とは誰のこと
2023年09月16日 14:21

2023.9.17 宣教「神は愛です」

聖書 ヨハネの手紙第一4章7-12節  先週でルカによる福音書を終え、次週からヨハネ福音書を取り上げたいと思います。そこで、ヨハネという人について確認します。ヨハネはローマの皇帝の時代に逮捕され有罪の判決を受け、パスモス島に流されました。その後、紀元96年に解放され、自由に身となりエルサレムに帰ることができました。しかし、すでに高齢となっていたので思い通りの活動ができなくなっていました。それでもイエスから受けた教えを多くの人に伝えていきました。十二使徒の中で一番長く生きた人であり95歳で亡くなったと言われています。晩年のヨハネは、会堂で礼拝を捧げる時も檀上に長く立って語ることもできず抱きかかえ
2023年09月10日 06:00

2023.9.10 宣教「宣教の証人」

聖書 ルカによる福音書24章44-53節  復活の主イエスが、エマオで二人の弟子たちに姿を現すと、喜んだ二人の弟子たちは、その日のうちにエルサレムに戻りました。その夜、エルサレムでも、また主イエスは現れて、他の弟子たちにも聖書のみ言葉を説き明かしをしてくださったのです。44節「イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。』」イエスは聖書を悟らせるために、弟子たちの心の目を開きました。旧約聖書が自分の生涯を預言していて、イエスが全部それを成就したと説明されました。48節と
2023年09月02日 05:51

2023.9.3 宣教「祝福の食卓」

ルカによる福音書24章28-43節  エマオへ帰る途中、二人の弟子が思いがけなく主イエスに出会いました。28-29節「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が『一緒にお泊り下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。」ここでもまだ、二人の弟子は主イエスに気づいていません。夕刻の旅は危険ですし、お互いに空腹になっていました。30-31節「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、
2023年08月27日 05:24

2023.8.27 宣教「エマオの途上で」

聖書 ルカによる福音書24章13-27節  今朝は、有名なエマオの途上の話です。13-14節「ちょうどこの日、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」と、ここから物語が始まっていきます。「ちょうどこの日」とは、日曜日の午後のことです。「二人の弟子」とはイエスを信じている人たちです。なぜ、彼らがエルサレムから離れて行くのか理由は書かれていませんが、おそらく彼らはエルサレムから自分の故郷に帰る途中だったと思われます。その途中、第三の人がそばにやってきて一緒に道を歩きはじめました。15-16節「話し合って
2023年08月20日 05:58

2023.8.20 宣教「キリストの復活」

聖書 ルカによる福音書24章1-12節  キリストは金曜日に、カルバリの丘で十字架につけられて息を引き取られました。アリマタヤのヨセフの新しい墓に葬られて、安息日の静かなときを、主イエスは墓の中で過ごされたのです。24章1節に「週の初めの日」とは、キリストが十字架にかけられた3日目、すなわち日曜日の朝のことです。婦人たちがそのお墓に来たのは夜明け前で、まだ外は暗かったと思われます。1-3節「そして、週の初めの日の明け方早く準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」墓に来た婦人たちは「墓から石が取りのけてあるのを見
2023年08月13日 06:11

2023.8.13 宣教「神の国を待つ人」

聖書 ルカによる福音書23章50-56節 今日のテキストは主イエスの埋葬です。主イエスが埋葬されるとき、福音書の中で初めて登場し、その後、姿を消す人、それがアリマタヤのヨセフという人です。50節―51節「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。」彼はサンヘドリンの議員で、ユダヤ議会の国会議員です。マルコ15:43には「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」と記され

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